本当に書きたいことは自分でも分からない
9月24日からこのnoteの毎日更新を始めて今日で12日目。
特にキリのいい数字ではないものの、毎日書いてみて気づいたことを書いてみます。
主に2つあります。
書く前に書きたいと思っていたことは実はそれほど書きたいものではなかった
「毎日書く」ことによって少しずつ「本当に書きたい」と思えることに近づけている気がする
前者は、「これを書けたら楽しいだろうな」と書く前からワクワクするようなアイデアだったのに、いざ書いてみたら「あれ、こんなもんか」と拍子抜けする、「これを書けたら楽しいだろうな」と盛り上がっているときが実はピークだったことに、書いてみて初めて気づくパターン。
後者は、以下のように外からは中身の見えない箱に詰まったアイデアを一つずつ取り出しては書く、のを繰り返すうちに、だんだん「本当に書きたい」と思えるアイデアに迫っている手応えを感じるパターン。
言ってみれば、ハズレくじにめげずに、とにかく毎日引き続けること。
何が入っているのか分からないくじと違って、この箱には自分の経験したことしか入っていないので、当たりの含有率はそれなりに高いはず。
書けば書くほど「当たり」に当たる確率が上がっていく。
言い換えれば、最初からいきなり「当たり」を引き当てるのは難しい。
そして、書けば書くほど、手探りの精度が上がり、手触りで「分かる」ことが増えるので、「当たり」の定義も動的に変わっていきます。
つまり、「当たり」とは最初から決まっている固定的なものではなく、書く過程で、何を書いたのかによってその形を変えていく動くマト(動的)なのではないかと思うのです。
「書く」というクエストは、書き手の辿ったルートに応じて到達するゴールが変わる、マルチエンディングのような設計になっているのではないか、と想像しています。