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過去に選ばなかった「別の道」を過去に戻って選び直すことで手に入るものと失うもの
「あのときの別の道を選んでいたら…」と不意に思うことがあります。
たいていは現状に対して淡い不満を抱いており、岐路において「別の道」を選ばなかったことを悔やんでいるとき。
この、悔やんでも悔やみきれない悶々とした気持ちは、映画のモチーフとして頻繁に登場します。
『天使のくれた時間』(2000) はウォール街で経済的に成功し、優雅な独身生活を謳歌する主人公( ニコラス・ケイジ )が、クリスマスの晩に「13年前に当時の恋人と別れていなかった世界線」に迷い込みます。
『イエスタデイ』(2019) はさらに大規模で、冴えないシンガーソングライターの主人公( ヒメーシュ・パテル )が「ザ・ビートルズが存在しない世界線」に放り込まれます。
両作品の共通点は、主人公だけが2つの道の違いを知っており、知っているがゆえに苦悶すること。
ニコラス・ケイジは、恋人と2人の子どもと犬1匹の結婚生活を手に入れる代わりに、ドアマン付き高級マンションのペントハウス暮らしを失います。
ヒメーシュ・パテルは、世界がビートルズを知らないのをいいことにビートルズの楽曲を歌いまくることで一躍人気歌手の地位に上り詰める代わりに、売れない時代を支えてくれた幼なじみの恋人を失い、さらには「オレはこのままでいいのか? いつかパクりがバレるのではないか?」という葛藤と不安の日々を送ることになります。
両作品から伝わってくるのは「別の道を選べば、今のあなたが望んでいるものが手に入る代わりに、これまで時間をかけて育んできた大切なものは失うことになるけど、いいの?」という問いかけ。
どちらも選びがたいものであり、そうであれば岐路に戻って「別の道」を選び直すことなどせず、選んだ道を信じて迷わず進む方が良いのでしょう。
そもそも、そうするしかないわけですし。