【2024アニメ】鬼滅の刃 柱稽古編【私的感想】
↓ざっくりとした評価基準↓
E(1~9) → 苦痛なレベル
D(10~29) → いまいち
C(30~69) → ふつう
B(70~84) → いい感じ
A(85~94) → 最高!
S(95~100) → 覇権レベル
⭐︎(101~) → 特級/アニメ史に残るレベル
鬼滅の刃 柱稽古編の私的評価
ストーリーS(95)
アニメーションS(100)
テーマ性S(95)
キャラデザS(97)
テンポS(97)
音楽S(96)
独創性(+25)
リザルト -> ⭐️(121)
鬼滅の刃ってどんなアニメ?
今更、説明する必要も無いので省きます。
良かった点
天才漫画家、吾峠先生のストーリーを改変しなければ評価を落とす事なく最終回を迎えるでしょう。
そしてufoにはそれをやるという信頼がありますね。
しかも所々アニオリが入っているが、そのアニオリが素晴らしい。
吾峠先生の鬼のような才能を感じられる演出、表現をもうひと段階上げているようです。
漫画の天才とアニメの天才達が共鳴していると言うほかありません。
吾峠先生の才という強力な質量に、アニメ界の天才達が引力により導かれ、吾峠先生を核とし、宇宙規模の現象を起こしているかのように感じられます。
彼らには無闇に核を変えようなどとは思わない強烈なリスペクトも感じられていて、鬼滅ファンも納得の出来と言えるでしょう。
それほどまでにドンピシャなアニオリ表現を紐解くのもまた楽しい。
テンポについてだが、もうここまでくると何をやっても正解です。
柱稽古編が全8話であろうと、ストーリーの間に劇場版を挟もうと、彼らが何をやろうとそれが最善であり、「もう好きにしてくれ」と言ったところです。
私は形にハマる必要のあるアニメと、完全に枠から外れて好きに暴れていいアニメがあると思います。
「劇場版は番外編であるべき」とか「1クール12話じゃないと他の番組に迷惑がかかる」みたいな論理は、モンスター級の結果を残した作品は無視して良いでしょう。
むしろそれで表現力を落としてしまうことを危惧した方が良い。
だからこれでいいのです。
キャラデザがいい漫画やアニメについて考えることがあります。
私はまず服装を見ますかね。
ワンピースのようにファッションに独特の世界観があるのに、着こなし方に個別化を図ったり、柄やアイテムなんかも凝っていたり、めちゃくちゃオシャレでかっこいいですし、見ているだけで楽しいですよ。
鬼滅の刃はまさにその見るだけで楽しいデザインというものが大変良く表現されています。
個性的なのになぜか統一感があってカラフルで見ていて楽しい。
ジャンプ編集者目線で考えると、こういうものが理想的なデザインなのではないでしょうか。
ジャンプ作品で言うと、ワンピースの他にドクターストーンとかも当てはまりますよね。
音楽についてですが、アニメーションと曲がめちゃくちゃシンクロしてます。
これが映画っぽい表現の要因のひとつでもあります。
超一流の梶浦さんと椎名豪さんですから、音の質は最高峰ですが、それに加え、まるで同じスタジオで一緒にアニメを作っているかのような一体感があります。本来個別で撮ったりして、提出してみたいな感じですよね。
ハリウッド映画のような演者の動きに合わせたOSTが臨場感を押し上げています。これぞアニメ音響の理想像と言ったところでしょう。
悪かった点
刀鍛冶の里編以降OP, EDが微妙…
もちろん作画は素晴らしいのですが曲が鬼滅のクオリティに置いていかれてる感じがします。
中でも無限列車編の「炎」は特に良かったのですが、あれほどの熱量のある曲は早々出てこないのでハードルが高すぎるのが原因…?
語りたいこと
天才集団に資本力を与えるとどうなるかを見せつけられましたね。
限られた予算の中で最高のアニメーションを世に放ち続けた日本の最高峰クリエーター集団「ufotable」
中でも鬼滅チームは激烈な成功体験を得ました。
それがまさに「無限列車編」の存在です。
https://screenonline.jp/SCREEN_Plus/17455381
コロナ禍で荒んだ世の中に突きつけた何重にも織り込まれたメッセージ性に人々はそれぞれの想いに重ね、受け取りました。
例えば私はこんな解釈をします。
コロナ禍では大衆が個を、個が大衆を監視したいという傲慢な願望があることをハッキリと表しました。
「大衆の為に個はこうあるべきだ」と個が決めつけて、行動や思想を強いるのです。
生存戦略としてはなんとも言えないし、合理性があるような無いような曖昧な論理です。
しかしこれだけは言えます。
個が出来ることなど限られているのと同時に、個が出来ることは自分が思っているよりも多いのである。
その中でまず自分自身を認められないことには、希望など巡ってこない。
そう、他人の行動や思想を矯正しようとするよりも、自分がすべきことをまずはやる、そのことに集中する、その後ろ姿を見て人は感動し、世の中に強烈なメッセージを刻み、心の奥底に宿るほどの影響を与えるのだ。
彼らは鬼殺隊という規律(隊律)の中で生きていて、選択の自由など無く、幸せになる権利なども無く、いかなる時もその命を投げ出す責任を背負う。
そして、鬼を滅し、鬼から人々を守り、社会を存続させるのが責務である。
それに人生を捧げている。
そこに「大衆はこうあるべきだ」なんていう思想は無い。
自分と自分の周りに気を掛け、全ての鬼と鬼舞辻無惨を滅するという目的の為に自分が如何に行動するかということしか考えていない。
後発者というのは、そういう人間の生き様を見て学ぶ。
我々、現代人はそういう人間を欲している。
如何に騙すか、如何に金を巻き上げるか、如何に快楽を享受するか、如何に爪痕を残すか、如何に誰かを殺すか。
そういうことばかり考える鬼が世に蔓延しているこの現代に嫌気が差している我々は、戦うべき時に戦える人間というヒーローを必要に感じている。
そして、鬼滅の刃の圧倒的なアニメーションがそのメッセージに説得力をもたらしている。
あのufotableの才を結集させたような比類なきアニメーションは、クリエーターの血の滲むような執着とも言える努力が垣間見える。
「己の責務を全うするのみ」という煉獄の言葉を行動のみで示しているようだ。
他のアニメーションにおいても狂気的とも言えるアニメーター達の仕事っぷりが伝わってくるのだが、鬼滅の逸脱したようなアクションや背景描写、ライティング、エフェクト、音楽、効果音、演技、演出などは並大抵の犠牲では成し遂げられない。
そして彼らは成し遂げた。
己の責務を全うしたクリエーターが最高の結果を出したという鬼滅チームには感嘆するほか無い
遊郭編でさらに上がるハードル
テレビ版が劇場版の作画を超えてくるなんてことを誰が想像したでしょうか。
皆さんは遊郭編で回を追う毎にアニメーションのレベルが上がっていくという新体験をしました。
6話の堕姫戦から作画班が本気を出し始めました。
上からの範囲攻撃、血気術「八重帯斬り」からの戦闘シーン、ヒノカミ神楽、灼骨炎陽で払い除け、日輪刀と帯を交わすアニメーションは凄まじかったです。
帯の動きに火花に構図に、これからクライマックスに入るというのに、すでに消費カロリーが高すぎるんですが大丈夫なのかと心配になりましたよね。
炭治郎は燃料切れになり禰󠄀豆子にチェンジします。
7話の禰󠄀豆子VS堕姫もすごかった。
戦闘モードなった禰󠄀豆子は、千切れた首や手足を血で宙に浮かせるような戦闘術を駆使します。
その次は民家で人間を食いそうになる禰󠄀豆子を止めているところを宇髄に助けられます。
そこからいよいよ妓夫太郎との戦いになるのです。
ずっとアニメ界トップクラスの戦闘アクションが続きます。
しかしどこを取っても作画表現も手抜きが見当たりません。
そして伝説の8話。
この頃からSNSの世界トレンドに上がり、アニメファンを賑わせました。
妓夫太郎の登場、宇髄さんとの戦闘シーンです。
下で宇髄&炭治郎VS妓夫太郎、上で善逸&伊之助VS堕姫ですからね。
ただでさえ作画コストかかるのに、同時進行で戦闘シーンってことは、それだけ多くのキャラクターを激しく動かし続けなければならないということです。
妥協は一切しないという覚悟が伺えます。
ネフェルピトー戦で見せた、ゴンの「ありったけを」というこの先の事など考えていないようなオーラの使い方をしているようです。
当時の反応としては「8話にお金と時間使いすぎて、これ以降は安上がりになるのでは?」という心配の声が上がっていました。
しかし9話でもクオリティの高い作画を維持し続け、最終決戦10話に移行します。
10話は吉原炎上のごとく大火事となった遊郭で、もはや死を待つだけとなる鬼殺隊一行から始まります。
始まり方もOP無しの特殊回で、さながら映画のような美麗なアニメーションでした。
特殊OPに加え、鬼滅の刃アニメーションの代名詞となるアクションシーン、そしてあのED…
遠くの方で赤黒い光が灯り、巨大な煙に覆われる遊郭が、徐々に夜の闇に染まっていく様子を描きました。
トレンドにも「放心状態」というワードが上がっていたと記憶します。
あの体験は二度と出来ないでしょうね。
鬼滅の刃は更なる伝説へ
クオリティで言えばアニメの頂点と言えるでしょう。
私は攻殻贔屓があってなかなかトップの評価にはしたくないんですが、ちょっと鬼滅はやりすぎというか…特異点(オーパーツ)出されちゃったらなぁ…
今後は映画三部作から最終決戦を迎え、鬼滅は伝説になるでしょう。
推定で鬼滅経済圏というのは1兆円規模だそうですが、今後は2兆円くらい行くかもしれませんよ。
これからいよいよ無限城編、クライマックスに突入ですが先はまだまだ長いし、一生に一度しかお目にかかれない作品です。
存分に楽しみましょう。
柱稽古編8話
ufoさん完全に吹っ切れてるなという印象を受けました。
もうやりたいこと全部やってる感じです。
というかやりたい表現を全部やった上でもう20%くらいマシマシにしてるような…
鬼滅屈指の名シーン、名台詞。
この言葉じわじわと効いてくるんですよね。
無惨曰く、仏のような顔を"貼り付けた"まま、憎悪を隠している産屋敷耀哉。彼の穏やかな口調の中に「彼らはずっと君を睨んでいる」と言い放つ。
これは「夜道に気をつけろよ」と言っているようなものです。
産屋敷の心の内底に潜むドス黒い感情が、表層を叩き、ヒビのほんの隙間から漏れ出ているように、言葉の節々に現れているのです。
「わたしたちはずっと君を狙っているよ」という表現ならどうだろうか。
我々鬼殺隊の任務は鬼から人々を守る事である!という職務的な感じがする。
その実、鬼の生命を絶つ事より、人命救助を優先する守護者的な役割であるという印象を受ける。
そのような正義感はとうに朽ち果てたのだろう。
それほどまでに弱き者は鬼によって虐げられてきた。
だからこそ「お前を殺すためならなんでもする」という覚悟に変貌したのだ。
産屋敷は「彼ら」と言っている。
彼らとは当然鬼殺隊のことだ。
鬼殺隊は永遠であるから、「お前が生きている限り、お前の首は狙われ続ける」ということだし、「客観的に見ても、もうこの殺意は止めることは出来ない」ということでもある。
「あーあ、しーらね」という煽りも含まれるように聞こえるし「君は最終的には死ぬ、逃げられないよ」という宣告にも聞こえる。
つまりは、私がこのシーンに惹かれるのは、今まで聖人のように描写してきた産屋敷の人間味が表れたからだ。
そしてその人間味というのが、怒りと憎悪がとぐろを巻き闇深く混沌たるものだったからだ。
そして、産屋敷耀哉は話を最後まで聞いてくれた鬼舞辻無惨に礼を言い、妻と子供諸共爆破した。
その映像たるやファンの想像を遥かに超えたものでした。
爆破をスローモーションで表現した作品って他にありましたっけ。
産屋敷邸の床から火が灯り、柱を捻じ曲げ、降る雪を溶かし、屋根を吹き飛ばす。
芸術というものが飽和した時代に、まだ見たことのないような表現を引っ提げてくるとは思わなんだ。
デフォルメ度が高く手数も多い吉成曜風のエフェクトでもなく、庵野風の静と動を極端に取り入れ迫力と格好良さを全面に出すようなエフェクトでもない。粉々になる壁や屋根を細部まで描ききり、建物の中から外から、さまざまな構図からじっくりと破壊が進んでいく様子を見せつけた。
大爆発から飛び散る破片や爆風、産屋敷邸を飲み込む火炎も全く手を抜かない。
いつも想像と期待を超えるアニメーションを提供するufotableに限界など無いのだ。