4月6日 朝礼 「自分にとっての大きな岩は?」
これはすごい有名で、結構どこででも使われている話しで知っているかもしれないですが、ネットでいくらでも出てくる一例です。
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
どう思う?
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ。」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分にとっての大きな岩。
多くの人はに、家族だったり、命だったり、楽しいだったり、仲間だったりするはず。
ここに異論がある人はそんなにいないと思う。
でも、ここから考え方が分かれていく。
多くの人は、その大きな岩を持つために、維持するためにはお金や時間が必要としてしまう。そして、その必要と思っているお金や時間をえるために仕事をしなければいけないと考えてしまう。
仕事は、ここで言う水なのです。
お金や時間は砂や砂利でしかないのです。
学生の時、お金なくても十分遊べなかった? 家族との時間もあったし、友人との時間もあったし、楽しかったやん。
そう、学生の時って、とにかく時間があるんよ。
そして、これだけ時間があるのって、人生の中で最後なんよ。
休み、1ヶ月とかあるやん。大人になって休み1年中休みってパパくらいなんよ。
他の人たちって、休まれへんねん。
1週間くらいならなんとかなるけど、2週間とかになるとなかなか難しい。
だから、学生の時に、時間がある時にやっとかないといけないことをやりなさい。
ある意味、勉強なんて社会人になってからでもできる。
俺は、お前にこの4年間で600万円くらい使う。
もし、お前が4年間で勉強だけを一生懸命するならその価値はない。
それなら、もっとケンブリッジやオックスフォード大学の授業をリモートで聴く方がよっぽど安く上がって、将来の役に立つ。
でも、お金はないけど時間はある、この時間をどう楽しもうと考える最後のチャンス。これができないと、予定が詰まっていないとしんどくなる大人になっちゃうよ。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
↑無理してやることが美学の考え方。
忙し猪がカッコいいと言う考え方になってします。
考えて解決しようというか、考えて楽しいものやことに変換できない大人になっちゃうのね。
みんな忙しくてあわわあわわとしてるけど、こっちは、どうすれば楽しくなるかな〜としか考えてないのに、無理して力技で解決しようとするから、もったいないな〜と見える。
だって、やっと考える題材を得たのだから、そこで思考を停止して力技でその場凌いでなんの意味がある? でも、力技で凌いだ人って、よくやったよな、乗り切ったな、私できる!と思っとんねん。
子供もそう。
母親って、子供が何も起こらないように、注意し行動を促進させる。
幼稚園の時に経験させないといけないこと、
小学校のうちに経験しておかないといけないこと、
中学のとき、
高校の時、
大学の時、
新入社員の時、
20代の時、
30代、
40代、
50代と、全ての時に、今経験しておかないといけないことを経験しないで過ぎたらあかんねん。
それが俺にとっての大きな岩。
大きな岩って、何もいいものだけじゃなくていいと思ってて。
それは今経験しないといけないこと。
それは失敗だったり、失恋だったり、も人生で必要なこと。
失恋したくないから恋愛しないとか変じゃん。
失敗したくないからチャレンジしないとか。
その時に絶対にしておかないといけないこと、経験しておかないといけないこと。
これを大きな岩と呼びたいです。
僕にとっては、売り上げは水なんです、大きな岩は仕事をして得る経験。
上記で述べたとおり、今母親に時間がありすぎて、子供に時間を割けすぎて、子供に干渉しすぎて、子供が失敗できない。ちゃんとさせようと親が先に答えを教えてしまう。
それって、子供のチャンス、学びの場を奪っていると言うことに気づかない。
そして、会社も一緒。
働き方改革やパワハラという言葉で、育てるのは無理になってしまっている。
若い人たちが権利を主張し、それが当たり前という世の中になってしまっているから、もう育てるということができなくなっている。
失敗させてでも経験を積ませるということのリスクが高すぎる。
前までは、終身雇用だったから、こいつの失敗はこいつの成長こそが会社の成長と財産だったものが、やらしたらパワハラ、教えてくれない、任されて失敗したからトラウマとかアホかと。そして、すぐ辞めていく。
そりゃ、もう会社からすると、そんなリスク背負うなら、もう誰でもできる仕事しか従業員にさせないよね。
時間かけてでも、お金かけてでも、損失が出たとしても、目先のことじゃなくて将来を見越した運営をしてるから、今は失敗したらいい、失敗できるうちにいっぱい失敗させてやる。会社の、上司の役割ってそうゆうことやったやん。
失敗させてやる環境、経験を積ませる環境や器を持ちます。
転職は自由だよ、でもそんなこと言ってる奴ってアホで、就職して2年目でいくら貯金あるかで話をしよう。
就職して2年経ちました。給料25万円もらっていて、貯金が100万円超えてる人ってどれくらいいるかな? これって、月5万円貯金するだけで、120万円は溜まるんですよ。
高校生の時、月25万円もあったら、高校生の時とは言わないよ、初任給もらった時、こんな大金あったら無敵モードにならんかった?
でも、たった2年でそれが足らなくなるんよ。
この人の悲惨さは、これじゃないんよ。
月25万円以下の仕事には転職できない人なんですよ、そして、結婚や子供ができた、マイホームやとかになるとどんどんもう何かできる可能性が狭まってきちゃうから、まあこれも幸せかとか、子供いるしとか、家族がいるから幸せかというふうに誤魔化すしか無くなる。
でも、僕はそれもすごい幸せだと思ってるのね。
でも、大学の時に、少し考えたら、ちょっとでも頭を使うことを覚えたら、常識に囚われなくなったら、こうにはならない。自分にとっての大きな岩を持っていれば。
俺が、年収の高いサラリーマンのことを馬鹿にしてたり、年商何百億という社長で仕事が忙しくて!と言ってる社長を馬鹿にして、飯の誘いも断るのに、売れない何かの卵が大好きというか尊敬している理由はそこ。
売れない何かの卵は、自分が何をしたいのか、何をするのが幸せかを知ってる人、自分位とっての大きな岩を持ってる人。自分を誤魔化して、生活の質を落とせなくて自分の可能性を狭めているような、仕事が忙しいと、誰でもできるような仕事をアクセクして稼いで自分の首を絞めているような不自由人じゃないから、話してても楽しんよね。
自分にとっての大きな岩を、この会社、仕事で、見つけるのか、探すのか、作り上げていくのかしてください。
僕は、そのお手伝いをします。