見出し画像

流浪の月〜去年観た映画の感想の再録加筆修正〜

文字だとスッと身体に入ってきたのに
映画になった途端
ベッドシーン、暴力シーン共に原作以上にしんどいものとなった。

迂闊に誰かを誘える映画ではなかった。(一人で観に行ってよかった)

原作未読で映画、そして予告しか見ていないと
「文(ふみ)=ロリコン」の解釈のまま終わってしまいそうだが
流浪の月は単なる「暴力」と「ロリコン」「女児誘拐」の話ではない。

原作では描かれていた
更紗(さらさ)の両親、そして家庭内描写。
あの親だからこそ、あの更紗な訳で
それを省くのは少しもったいない気もするし
幼少期の更紗との食事シーンで語られる文の母親像(性格?)もカットされてたけれど、そのシーンがあるからこそ
文の几帳面な性格も成り立っているように思う。

そんな両親から受け継いだ二人の正反対の性格。

自由を取り戻す更紗と自由を知る文。

二人の関係性は端から見れば
誘拐の犯人と被害者かもしれないけれど
二人にしかわかり得ない関係性がそこにはある。

終わり方も小説と少し違って
ボカされた終わり方な気がして
個人的には小説ほどハッピーエンドとは捉えられなかった。

映画の
「また、流れていけばいいよ」と

小説の
「また、流れていけばいいよ」は

ニュアンス、そして解釈が全く違ったように感じた。

身体的な男女差異の表現。横浜流星さん演じる亮の暴力シーンと典型的なDVクズ男っぷり。
暴力を受けているときの広瀬ありすさん演じる更紗。
そして映画が予告されるまでの間、心配されるだけのことはあった松坂桃李さん演じる文の身体の線の薄さ(好き)とあまり感情の出ない表情。
それら全てが、しっかりそれぞれのキャラクターそのものであった。
さすが俳優さん。

―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
桃李さんが自分のコンプレックスを直隠しにする「文」そのものであり、そのコンプレックスを更紗に打ち明けるシーン。
全てを曝(さら)け出し、打ち明けようとするけれど、それが文にはとてつもなく恐ろしいことで、両方が入り交じった複雑な感情。

個人的に印象深いシーン
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?