宮沢賢治 作 「増水」水害に襲われる賢治の畑
1928(昭和3)年8月に宮沢賢治は過労のため肺結核の症状が悪化して、自宅療養に入りました。
その前年、1927(昭和2)年の夏は、賢治は「むちゃくちゃに」働いたようです。
そんな賢治の畑を水害が襲ったようすです。
「田になった古川のあと」は、いわゆる旧河道です。肥沃な農地になりますが、水害に弱い土地です。
国土地理院「旧河道」
https://www.gsi.go.jp/CHIRIKYOUIKU/kawa_1-4-3.html
現代でも台風や秋雨前線などで水害が頻繁に発生しています。低い土地の浸水に注意しましょう。
(本文開始)
七三〇ノ二
増水
一九二七、八、一五、
悪どく光る雲の下を
川は黄いろにひろがって
もう古くさい土佐絵の波もたててゐる
川下からは
田になった古川のあとを
ぢりぢり水があくってきて
豆のはたけはかくれてしまひ
桑のはたけももう半分はやられてしまひ
かたつむりの痕のやうにひかりながら
島になって残った松の下の草地と
白菜ばたけも浸されさう
盛岡の方では
まだまだ降ってゐるらしく
向ふ岸でも
やぱりかういふ古川が
野菜ばたけをやってるらしい
いつの間にどうして行ったのか
その温い恐ろしい磯に
黒くうかんで誰か四五人立ってゐる
一人は網をもってゐる
はゞきをはいて封介もゐる
封介がいま吠えるやうに叫んで
その巨きな濁りの水に石を投げた
(本文終了)
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