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NGOのファンドレイジングはお金が集まれば良いのか?ファンドレイジングの倫理性

こんにちは🙂イガラシゴーです🐧
私は海外での支援活動に関する普段の業務以外にも、大学の講義や市民社会のイベントなどで、さまざまなお話をする機会をいただくことが多いのですが、今年は「寄付と倫理」をテーマに話す機会がすでに複数回ありました。


NGOの重要な取り組みの一つ、ファンドレイジング

安倍元首相の銃撃事件以降、家庭崩壊に陥るほどの「寄付」が社会問題になり、2022年末には「寄附の不当な勧誘防止等に関する法律」(いわゆる寄付新法)が成立し、近年「寄付倫理」への関心が高まっているのを感じます。

私たちの支援活動は、政府や財団などからの助成金だけでなく、私たちの活動を応援してくださっている支援者からの寄付によって支えられています。

より多くの資金があれば、より多くの人びとに、より長い期間にわたり、より広い範囲に、より多くの支援を届けることができます。ファンドレイジング(資金調達)という活動もNGOの重要な取り組みの一つです。

ファンドレイジングにおける倫理|支援者に対する説明責任

しかし、NGOのファンドレイジングは、1円でも多くのお金を集めることを目的としても良いのでしょうか。集められた金額だけに固執して、NGO本来の団体としての目的を見失ってしまっては、本末転倒です。ここに警鐘を鳴らすのが、「寄付倫理」の考えの根幹にあります。

寄付倫理を考える上でまず思いつくのは、資金の透明性の担保です。寄付をお預かりした際に約束した目的に沿って使用し、その活動を途中経過や成果などを適切なタイミングで報告することが含まれます。

さらに、支援活動にはさまざまな経費がかかり、こうした経費は質の高い支援を適切に届ける上で必要であることを、支援者に対して説明し、理解を求めることも怠ってはなりません。

活動報告や会計報告を開示し、外部監査を受けることも、寄付をお預けいただいた支援者に対し、団体としての説明責任を果たすために行います。

寄付者に対する説明責任と比べると、支援対象者に対する説明責任は軽視されがち (©︎Sphere)

支援対象者に対する説明責任も

冒頭で言及した寄付新法の件も含め、団体がどのように寄付を募り、寄付者に対する説明責任を果たすかという観点からの寄付倫理がある一方で、支援対象者に対する説明責任に関する寄付倫理があります。

支援する被災者や難民、あるいは防災活動に参加する地域住民について紹介する際には、個人のプライバシーを遵守し、同意を得ていることが必須です。

その内容も「かわいそうな対象者」ではなく「尊厳ある人間」として尊重します。たとえば「かわいそうな子ども」を紹介することで、より多くの寄付が集まったとしても、本人や保護者の同意を得ていなかったり、その内容が本人の尊厳を傷つけ、その後の健やかな成長を妨げる要因になりうるのであれば、そのようなファンドレイジングは倫理的に許されません。

可哀想な部分だけを強調し、個人の尊厳を尊重しない「マリック君を飢餓から救うためのお金を送りましょう!」というメッセージは、悪い事例として人道支援のガイドラインで紹介されている。 (©︎Dochas)

寄付集めは手段であり、目的ではない

寄付がなければ多くの活動は成り立ちません。寄付は支援活動の大きな原動力になります。しかし、集める金額だけに注力し、寄付集め自体が目的になってしまうと、支援団体としての本来の存在意義がなくなってしまいます。

団体として高い寄付倫理を保つためには、支援者からの厳しい目が必要です。支援いただける皆さまからのご寄付は非常にありがたいです。しかし、できればその先も、預かった寄付がどのように使われ、その活動がどのように報告されているか、関心を寄せていただけるとうれしいです。

私たちはそうした皆さまの期待に応えるべく、支援者に対する説明責任と支援対象者に対する説明責任の双方を果たしていきます。

(文:プログラム・マネージャー 五十嵐豪)


五十嵐職員が登壇した、NGO2030の第30回ウェビナー「NGOのファンドレイジングはお金が集まれば良いのか?」のアーカイブ動画は、こちらからご覧いただけます。


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