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Chatworkを企画したとき、頭の中にあった計算

先日、大阪の本町にある老舗コワーキング「オオサカンスペース」が10周年ということで、お祝いの配信イベントの対談企画に出演するため、大阪まで行ってきました。

このオオサカンスペース、実はChatwork社の元子会社だったりするのです。

現在はMBOして資本関係はないのですが、社長の大崎さんとは10年以上の盟友。対談にあたり昔の話がたくさん出てきて、いろいろと思い出すものがありました。

Chatworkも、現在10周年

10年前、資金調達もしておらず、スタートアップでもなんでもなかった大阪の小さな中小企業が、ビジネスチャットという広大なマーケットを見据えたプロダクトをリリースしました。

今思えば、あまりにも無謀なチャレンジに見えます。ビジネスチャットって、言ってみればビジネスメールでいうGMailやOutlookのような巨大サービスが担う領域なわけです。

結果として、今では日本最大級のビジネスチャットとして上場も果たし成長を続けていますが、鳴かず飛ばずで終わった可能性も大いにありました。

今回は、10年前に私がChatworkを企画した時、うまくいかなかった時のことも含めて、頭の中でどんな計算をしていたのか。あまり表には出ていない本音ベースでの、そんな話を書いてみたいと思います。

Chatworkを企画した背景

Chatworkを企画したのは正式リリースの約1年前、2010年の3月23日。

当時、社内の状況としては社運をかけた新サービスの収益化に失敗。泣く泣く撤退を決断し、サービス停止を進めているタイミングでした。将来の見通しは立たず、ポツポツと社員が退職していくような、閉塞感につつまれた空気感でした。

当時の私はCTOであり、自社サービスにおける技術サイドの責任者でした。

撤退戦の殿(しんがり)をつとめて粛々とサービス終了の段取りをまとめていましたが、その時に考えていたことは、このままだと社内エンジニアの仕事がなくなってしまうという危機感でした。

社運をかけた新サービスが失敗した大きな理由は、海外のテックジャイアントが提供するサービスに勝てなかったこと。

2000年に兄弟で学生起業し、インターネット黎明期のまだ市場が出来上がっていない時だったから自社サービスで戦ってこれましたが、10年たち、そんな素人あがりが勝てるマーケットではなくなっていたのです。

当時、会社の役員が考えていたのはオフラインへのシフト。海外のテックジャイアントと直接戦わない領域へ行こうという意図です。そこではじめたのが中小企業向けIT化支援、今でいうDXの領域でした。

Google Apps(現:Google Workspace)の日本第一号代理店となり、販売から研修、コンサルティング、ノウハウ提供を行う事業を展開しました。

しかし、この事業を行う上で内製のプログラマーは必須ではなく、技術部門を預かる身として危機感を覚えていました。

中小企業向けIT支援の領域で、何か事業貢献できる自社サービスをつくらなければ、自分を含めたエンジニアの居場所はない。それが、Chatworkの企画を考えるに至った直接的な動機でした。

Chatworkを思いついた、発想の原点

徹底したIT活用が得意だった自社が、一番依存しているITプロダクトは何か。これがないと業務ができないレベルで依存しているものは何か。

それが、チャットでした。もちろん当時ではChatworkは影も形もなく、社内でヘビーに活用していたのはSkypeのチャット機能でした。

Skypeチャットの前はWindowsメッセンジャーを、その前はICQというチャットを使っており、社内では長らくチャットで仕事することは当たり前になっていました。

当時のSkypeチャットは中央サーバーを持たないピアツーピアのアーキテクチャを採用しており、無料で通話ができるという大きなメリットがありながらも、チャットとしては不便なことがたくさんありました。

ピアツーピアで直接相手と通信するため、相手がオフラインだとメッセージが届かない。メッセージ検索ができない、ファイルは一度送ったら再度ダウンロードすることはできない、デスクトップやノートパソコンなど異なる環境で既読が同期されないなど、たくさんの不便なことがありました。

そういった問題を、24時間稼働するSkypeアカウントを社内サーバーで用意するなど、様々な運用ノウハウで改善して運用してきました。そのノウハウをITコンサルの事業でも提案していたのですが、ハードルが高すぎてほとんどのお客様は導入できないでいました。

そんな凄まじく便利だが運用が難しいチャットのビジネス利用を、はじめからビジネス向けに設計されインストール不要なクラウド型のチャットサービスがあればいいじゃないかというのが、Chatwork発想の原点でした。

2010年当時、インターネットで国内・国外含めて一生懸命検索して探してみましたが、ビジネス向けチャットをコンセプトとしたWebサービスは見つかりませんでした。

ワーストケースを想定した、頭の中の計算

これはイケそうだという強い確信はありましたが、正直、はたしてビジネス的にどこまでうまくいくのかというのは、不安が大きくありました。

そもそもビジネスチャットというコンセプトが理解されるのか、強い海外の競合が参入してきたらやられないのか、など。そもそも、一回前のサービスでは大失敗してしまっているのです。

この時に参考にしたのは、とあるWebコンサルティング会社のビジネスモデルでした。当時、ご縁もあってとても単価の高いWebコンサルティング会社と契約をしていました。

コンサルティング内容は今でもその考え方を大事にしているほど質の高いものでしたが、そのビジネスモデルもよくできているなと感心していました。

はじめの数回はおそらくその会社が持つ定形のコンサル提案の型をやってくれるのですが、それが終わったあとは自社製のアクセス解析サービスの導入を提案され、そのアクセス解析のレポートをもとに定期的なコンサルティングサービスが始まるのです。

コンサルティングは顧客が持っていないノウハウの提供なので、一通りのノウハウ提供が終わったあとの長期での継続はなかなか困難なビジネスモデルです。そこに自社製のサービスを導入し、そのサービスを誰よりも活用できるであろう自社がコンサルティングに利用することで、継続率を上げるのです。

つまり、このモデルをあてはめてみると、自社がやっているIT活用支援事業でChatworkをセットで導入してもらい、ビジネスチャットの活用度合いのレポートをベースにコンサルティングの提案をすれば継続率を上げられるのではという発想です。

実際、IT活用支援事業では継続率が低いことが課題に上がっていました。この発想がうまくいけば、Chatwork単体で利益を出さなくても事業価値を出すことができる。こんな計算を、頭の中でしていました。

フタを開けてみると・・・

こんなシナリオを裏で用意しながらも、実際のリリースでは想定以上の反響を得ることができ、Chatwork単体での事業化を実現できました。

そして最終的にはIT活用支援事業を他社に譲り、Chatwork株式会社に社名を変更しての主力事業となっていったのでした。

新規事業、新規プロダクトというものはトレンドや競合といった見通せない様々な変数があり、成功するかどうかはフタを開けてみないとわからない部分があります。

しかし、野心的な新規事業を企画しながらも、常にワーストケースを想定し、最終的な撤退の判断がされる前にできるだけ長く打席に立つ準備はしておくべきだと思います。

Chatworkのリリースが、もしさらに3年前だったとしたら。世の中のトレンドという波に乗れず、苦しい事業展開を余儀なくされたかもしれません。

ですが、どうにかこうにか会社の中での事業存続価値をつくりだし、いつか成功させるまでトライし続けていたのだと思います。

10年を振り返ってみて、そんなことを思いました。

次の10年に向けても、楽観視せず、走り続けていこうと思います。


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この記事にあるようにChatworkの事業としての成長は順調に立ち上がりましたが、ミドル・レイターフェーズでは大きな壁にぶつかりました。そんな生々しいハードシングスについて書きました

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