24年 衆院選について思うこと

直前になってしまいましたが、最低限載せるべきだと考えたことについて記述したいと思い、久しぶりに記事を書きました。人により見るところはまちまちだと思いますが、個人的に注目するべきだと思うところを挙げようと思います。

・検証されない「一方的な宣伝」の氾濫

もうここしばらくの選挙では、もっぱら総裁選等で長期に渡り与党の事実上の宣伝でメディアを埋め尽くし、その後新内閣を発足させた直後に解散選挙という流れが多い。そこでは今後の政策についてこれでもかと喧伝されるのだが、それに比べて野党の取り扱いは極めて乏しい(以前よりはだいぶマシになったが…)。

本来であれば一党内の総裁選ではなく新内閣と野党とで徹底的に討論を行い、それを多く報道するべきだと考えるのだが、新内閣は組閣直後に解散するためまともな検証ができない。敵前逃亡だと言われることもあるが、まあその通りだなと思う。

散々自己の宣伝をやってそれに対する質疑にはほとんど答えない。これでは論戦から逃げたと言われても仕方がないし、それを避けているのは間違い無いだろう。

・我々が検証し得る、検証するべき事項

そうであるならば、というわけではないが、我々がまず最初にしなければいけないのは「今確認することのできる結果」、つまりこれまでの与党の仕事ぶりではないだろうか。

何やら「過去のことよりも、これからのことが大事なのだ」というような意見もあるのだが、それは若者、せいぜい20代くらいの人間の、それも個人的な選択において言えることだ。大の大人どころか人によってはかなりの高齢に至っている、国会議員という重責を担う人間に適用できるようなことではない。

なので本来であれば彼らはしっかりと検証し、さまざまな人間と討論を重ね、それを材料として国民の前に示さなければならないはずだが、現実には散々自己主張を繰り返し新しい内閣を組閣した直後にろくずっぽ論戦を展開することもなく解散しておしまいである。ここから我々が得られる判断材料は、もはや絵に描いた餅ですらない。こんなものだけで判断することは避けなければいけないだろう。

そこで最もまともに参考になるであろう判断材料が、これまでの結果である。今回は「裏金隠し解散」だなどと言われることもあるが、それだけではない。この記事では詳細に述べることはしないが、これ以外にもあまりにも多くの問題があり、そしてそれらのほとんどがいまだ放置状態だ。虫歯を放っておけばそのうちどんどんひどいことになっていくように、これらの問題もまた放置を続ければその歪みは増していく。

われわれは今さっき突然発足した新内閣のいまだ影も形もない夢物語ではなく、今までに政権がやってきたことについて考え、検証し、判断すべきだと考える。この辺りについて現与党のやっていることには、何やら目眩し的な胡散臭さを感じる。

この辺りについては過去にも記事にしているが、少なくともこの時からこの国の選挙は何も変わっていないのだろうと思う。

参考記事・総裁選に見る「何も学ばない、すぐ忘れる国民の作り方」

時間がないのでこの辺りで。ずいぶんと荒い記事になってしまったが、究極よく推敲され完成されているが間に合っていない記事よりも、荒くともそのときに間に合っている記事の方が求められると考える。投票に先立ち、有権者は今一度、頭を落ち着かせて少し考えてみる必要があるかもしれない。

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