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Introducing Eastern Orthodox Theologyの要約3 第一章2

神の神秘の前に立つ

par. 1
 神を知ることはできない、ということから出発するという矛盾について考えてきた。それは、あたかも私たちが無知から出発して知識が増大していくというものではなくて、知ろうと努めているものは我々の理解を越えているという気づきから出発するということだった。

pars. 2
 私たちは理解を越えた神の前に立っている。なぜなら、神のいない場所は無いからである。一方で、人間の認識において、神の存在がより明らかに感じられる場所がある。

pars. 3
 これらの場所は様々で、我々の育ちや歴史が関係しているが、多くの文化において山は神と出会う場所と考えられている。というのも、山は人間による修正を受け付けないからである。他所が人間が快適に過ごすために作られたものに簡単に覆われてしまうのに対して、山や河は人間による修正を拒む。

pars. 4
 正教神学の探究、つまり正教の伝統に沿って神を知ることの第一段階は、神の前に立つという感覚の再発見である。特に、教会で神の前に立つことが重要である。ここは人々が祈る場所であり、聖歌や祭服といった、人間が神を礼拝していることの証拠に満ちた空間である。ここが我々の出発点だ。

pars. 5
 ここに立つものはすでに祝福された信仰に参与しているのだ。ここが正教神学の始まる場所である。そして、ここで神の存在へと没入するのである。もし私たちがそれを理解しようと努めたとしても、部分的な理解に留まるだろう。しかし、知らなければならないことがある。それを我々は神学と呼ぶ。

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