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なぜ仕事を頑張り続けていたのか

現在時間だけはたくさんあるせいか、色々振り返る日々を過ごしています。このタイトルが突然降ってきたので、改めて振り返ってみました。

お金のブロックを克服したい

子供の頃から経済的な不安を感じて育ちました。

小学校の高学年の家庭訪問で、母が担任の先生に『我が家は火の車ですよ』と言う会話を聞いて、母に火の車の意味を聞いたのか記憶は定かではありませんが、我が家にはお金がないと認識した気がします。これは、間違いなくいまだに抱えるお金の心配(ブロック)のきっかけになったと思います。
両親の実家への帰省(香川と広島)だけで経済的な負担があったため、帰省以外の家族旅行はディズニーランド1回だけでした。(両親は不仲のため、帰省も両親いずれかについて行くという悲しい幼少時代。)友達のように家族旅行がしたかったですが、今思うと絶対に無理でしたね。

リストラされた父の影響

父が私と同じ位の年齢の時にリストラとなってしまい、後先考えずに突然起業をしました。当然事業は全くうまくいかず消費者金融にまで手を出して、借金の取り立てが自宅に押しかけるようになりました。

その後、ついに自宅マンションが競売物件となり、強制退去となりました。まさかドラマの世界を経験するとは思いませんでした。

元々不仲な両親でずっと離婚したらどちらについていきたいかと子供にはキツイ質問をされておりましたが、そんなこと回答できなかったのですが、父とは別居することとなり、母と妹と私3人で暮らすことになりました。

当時母は正社員で働いていましたが、生活のために夜に居酒屋で皿洗いのアルバイトをする羽目に。。私はアルバイトをしなかったので、長女でもあり、母に申し訳ない気持ちを持っていたと思います。この家庭環境の中、4ヶ月と短期ですが自宅にお金を入れずイギリスへのインターンシップは行きましたし。

元々お金のブロックに追い打ちかけてこの出来事。実はいまだに具体的に何歳の時の出来事なのか記憶にありません。(多分26-30歳?)そろそろ母に聞いてみようと思います。

10年近くお世話になっているメンターのような存在の方に前職で色々あって退職することになり、今後について相談した際に言われた言葉の一部です。

父親代わりをしようとした結果、 必要以上にご自分から責任を負う癖が付いてしまった感じがします。率先してお母様や妹さんを心配したり、経済的にも確立していきたい意識も強くなったと思います。そういった思考から社会においても、敢えて人がやりたがらない仕事をご自分から引き受けたり、責任を背負い過ぎる部分が強くなったと思います。それは側から見たら綺麗な部分ですが、その代償で、”私さえ我慢すれば良い”とご自分を犠牲にして来た部分があると思います。

メンターからのコメント

私が元々の夢を断念して、似たような業界、職種で働き続けてしまった理由がこの言葉に集約されています!!

経済的に余裕があれば、短大でなく大学に通い、在学中に海外留学か大学に進学しなかった場合でもイギリス留学やインターン後に帰国せずイギリスに残って違う人生だったかもしれません。

現在私は奇しくも父と同じ年代で無職となってしまいました。ただ、幸い自宅は賃貸でローンはありませんし、母は名古屋で古い分譲のマンション住まいで私だけのことを考えればよいので、あの頃の両親よりはまだ何倍も恵まれていると思うようにしています。

特に父のリストラはトラウマですが、この出来事があったからこそ、偏差値が低く、短大しか卒業していない普通の人の割には奇跡的に貴重なキャリアを積むことができたと思っています。経済的に余裕がある家庭で育ったら、適当に仕事をして、寿退社を目標にしていたかもしれまん。

お子さんをお持ちの皆さん、できる限り特に小さなお子さんの前で経済的な問題についての会話をしないことをおすすめします。(私のようにトラウマとなってしまわないためにも。)

子供は案外大人の会話を聞いていると思います。でもお金がないのは事実だし、状況によっては隠せないこともあるはずなので、お子さんへの伝え方は難しいですよね。。

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