行きすぎた敬語ついて考えさせていただき申し上げ候
先日、娘とパン屋で食事をした。
娘が「これなに?」と説明を求めてきたのは、下膳場所の表示だった。
意味を説明すると娘は「『ありがとう、また来てね』のほうがいい」と。
彼女にとって敬語表現は、仲が良くない感じがするそうだ。
確かにそうなのかもしれない。
丁寧に扱ってもらうことは大事だけど、それ以前に対等な立場であるという前提が重要だ。僕は、お金を払う”お客さま”としてあたり前のように、過剰な丁寧さを受けてきていたんじゃないか。
そう思うと、最近の敬語事情が気になってきた。
結論としては、今一度、相手とどんな関係でいたいかをお互いで考え、面倒な敬語競争をやめることだ。
行きすぎた敬語の増加
「~させていただく」という言葉は、すでに一般的な言葉になっている。
大学院のとき、プレゼン練習中に僕がその言葉を使うと、担当教員から「気持ち悪い言葉使うな」と叱られた。
最近会社で、以下の言葉をとてもよく聞く。
・おっしゃっていただく・おっしゃられる
・拝見/拝聴させていただく
いわゆる二重敬語、同じ種類の敬語(尊敬語+尊敬語、謙譲語+謙譲語)を重ねて使うことだ。
いやしい敬語
敬語は、相手への尊敬や、自分をへりくだる気持ちを表現する方法だ。
だから、二重敬語は、相手への尊敬のすごさ、自分の矮小さを見せるために使われる。
でも、行き過ぎた敬語を使うのは、本当に相手を尊敬しているからか?
そうではないだろう。
そこにいやしさを感じるのは自分だけでないはず。
なぜ、過剰に尊敬を表したり、自分を無価値に見せる必要があるのか。
相手との関係性の面と、その言葉が話される目的の2つの面から考察する。
「おっしゃられる」などが使われる場面には、発言者と受け手の間にヒエラルキーがある。発言者は、そのヒエラルキーを意識して敬語を使う。ヒエラルキーや主従関係を強調することで有利になる力が働くと、敬語表現の競争が起こる。それで生まれたのが最近の行きすぎた敬語だと僕は考える。
僕の勤める会社では、ここ数年トップとその取り巻きによって、官僚化を強めている。そこでは、表面的な敬語が強化されている一方で、より深いところにある信頼は減っていっている。
「どうだ、私はこれだけあなたのことを尊敬しているんだ」という言葉だけが聞こえる。
もう一つの面は、何かを依頼するときに使われる場合の敬語だ。
使われる表現は先述の通りだが、ここでは何かを相手に依頼するときに相手を気遣いすぎるよう表現される。
最近は何かと丁寧に相手に媚びるように依頼をされる。相手が怒らないように、残業を一切増やさないように、あれこれ丁寧に尋ねる。
その背景には、依頼する内容の無意味さ、別にやらなくてもいいことを頼んでいるという自覚がないか?
相手を気遣うのは大事だ。でも、問題はどんどん過剰になっていることだ。
相手にとっても意味のある事であれば、もっと胸を張って言えるはずだ。
相手を見上げて自分を卑下して頼むのでなく、もっと平等に、これはあなたの仕事ねと言えたり、誰がやるべきかを討議するよう行動していきたい。
そんなに敬われたい人間はいないし、そんなに卑下する必要はない
結局のところどうしたらいいのだろうか。
自分と相手どうありたいかを考えることだ。
過剰な上下関係には、お互いの尊敬や信頼がない。
一緒にいることが心地よくない関係だ。
どちらかがお金を払い、もう一方が従う主従関係だ。
それをもう一歩、お互いが気持ちよい関係になろうとするには、その主従関係を弱め、お互いが感謝をしあうことが必要だ。
その前提の下で、上下関係を感じても、ひるまないようにしよう。そして、自分が敬われていると感じた時は、相手への感謝を思い出そうと思う。
子供は、いろいろなことを教えてくれる。いつもありがとう!