さよならの間の息継ぎ
おそらくまとまりのない文章になるであろう事を予見し、最初に謝っておきます。それならいつもはまとまりのある文章が書けているのかと言われると、困ってしまう所ではありますが。
二日前に落語家の桂ざこば師匠が他界されました。私の父であり、同じく落語家の桂枝雀とは兄弟弟子にあたり、私が物心ついた頃から家族ぐるみでのお付き合いがありました。
お互いの家を行き来して楽しく交流させて頂いたことや、二家族で旅行に行った事などを思い出します。普及し始めたばかりのFAXで、今でいうLINEのように手紙(?)のやりとりをした事もありました。我々兄弟と年齢の近い姉妹の御息女がおられ、皆でビリヤードをしたのも懐かしい思い出です。
ご存知のように気性が激しいというイメージがある「ざこばのおっちゃん(大阪では子供はこのように大人を呼びます)」が、子供の頃の私は少し怖くて、家族ぐるみとはいっても、大人は大人で酒席を囲み、子供は子供で遊ぶみたいなシーンが多かったように記憶していますから、直接お話した事はそんなに多くはなかったように思います。
それでも父が他界した時、通夜の際に優しく声を掛けて頂き、その言葉に救われた事を覚えています。私は22才でした。その頃から住まいを東京に移した事もあり、お会いする機会は減りましたが、一度大阪のラジオ局に向かう新幹線の中で偶然お見かけし、その時も励まして頂きました。
それから十数年が経ち、落語家に転身した兄(桂りょうばさん)がざこば師匠のお弟子さんになりました。その事もあり私はざこば師匠の事を(何十年もお会いしていないのにも関わらず)今もどこか近しく感じさせて頂いておりました。
もう一度お話させて頂きたかったという気持ちは、それが叶わぬものになってから湧き起こる、ともすれば都合の良い感情であるかもしれません。
今頃はあちらの世界で父と、そしてお互いの師である米朝師匠と再会されているのではという投稿をSNSで拝見しました。そうであったらいいなと思います。そして私が仲間入りした時は(ずいぶん先のつもりではいるのですが)少しでもお話させて頂いて、あの時の御礼を申し上げられればと思っています。
さよならだけが人生だ、というのは井伏鱒二氏による「勧酒」という漢詩の訳の一部だそうです。年を取るごとに身に染み入る世界観です。日常とは、流れていく時間の中で楔のように突出する無数のさよならの、その間に存在する束の間の息継ぎのようなものに過ぎないのかもしれません。
その一休みの中で、次のさよならができるだけ後悔のないものになるように、日々を過ごしていけばよいのではないかと考えるようになりました。が、そんな事ばかり考えていてもそれはそれで息が詰まってしまいそうですね。喉元を過ぎれば、熱さの事はしっかり忘れてしまうというのが、実は人としてあるべき態度なのかもしれません。
やはりまとまりのない文章になりました。まるで親戚のおじさんのように近しく感じさせて頂いていた「ざこばのおっちゃん」の存在に感謝し、筆を置きます。最後までお読み頂き、ありがとうございました。