法律と言語学 -日本国憲法は、これを検討する。-
はじめまして。北海道大学言語学サークル幽霊部員のなお念と申します!
私は設立メンバーでありながら言語学も語学も完全にエアプで、他のメンバーのように文法だとか言オリの解説を丁寧に書くみたいなことは全くできないかわりに、少し視点を変えた記事をかいてみました。
今回は、言語学のなかでも、法律・法律の使われる場面での言葉を対象とする、法言語学について紹介します。
司法の現場は、最も人のことばを丁寧に精査する現場であり、ほんの少しの言葉遣いのもたらす印象が、ともすれば、ある人の人生を大きく変える判決をもたらす、まさにことばの最前線です。
ここでは、法言語学の言語学的アプローチとしての「日本国憲法の言語学的解析」、法的アプローチとしての「言語学の司法現場における利用」についてお話します。
日本国憲法の言語学的解析
日本国憲法は、戦後アメリカが提示した英語版草案をもとにして作られたものですが、もちろんまったくその逐語訳であるというわけではありません。日本語版の憲法起草者が、英語版憲法をどのように解釈し、その翻訳を通じて日本社会に適応させようと試みたのか、憲法の言葉から観察していきましょう。
憲法のことば
日本国憲法の特徴的な「ことば」といえば、「学問の自由は、これを保障する。(13条)」のような「~は、これを~」という文の構造ではないでしょうか。
この構文、トピック‐コメント構造文と呼ばれるもので、ここでは”は”以前の「学問の自由」がトピック、「これを保障する」がコメントです。
この構文の使用は、無生物を主語とする受動態の英語文が使用された条文に見られます。この13条は英語では、” Academic freedom is guaranteed.”逐語訳すると、「学問の自由は保障される。」となります。ところで、「学問の自由は保障される。」と書かれていたとしたら、(いつ?)(誰によって?)と、言葉足らずな印象を持ちませんか。
これは、英語と日本語の受動態文の持つ意味の違いによるものです。英語の受動態文は習慣的な意味を含んでおり、ここでは「学問の自由の存在する状況が常に保証される」という明確な意味を伝えます。それに対し、日本語の受動態文では「問題が起きた場合には学問の自由が保障されるだろう」という不確定な意味しか持たないのです。
ここでトピック‐コメント構造文を利用し「学問の自由は、これを保障する。」と能動態で、かつ「これを」と目的語を繰り返す形で訳した場合、日本政府が、より力強く、常に学問の自由を保障する、という意味が明確になります。
この構文にはさらに、もう一つ重要な効果があります。重要な事実は、トピック‐コメント構造文において、トピックはすでに話し手と聞き手が共有している旧情報を入れる位置であるということです。このトピックの位置に国民の権利、「学問の自由」「信教の自由」「表現の自由」といった概念を当てはめることは、これらの権利がすでに日本政府と日本国民の間で共有され、なじみ理解された権利であることを表しているのです。
憲法はとっくに国民が持っている自由を擁護するだけの存在であることを示唆しています。ここで重要なのは、実際にこれら権利概念が国民と政府に共有されて馴染んでいた、という話ではないことです。まるでとっくに馴染んだことかのように喋ることで、そういうものとして馴染みやすくするようなレトリックを用いているのです。知り合いでない人に久しぶり!と声をかけられたら、知っている人だったような気がしてくるというような、そういうことです。
身近な例
ちなみに、これは日本語学習において「ハ‐ガ構文」と呼ばれる文構造と近いものです。
例えば、「ケーキは、太朗が作ります。」のような文章があげられます。このとき、たぶんケーキの話題にはもうなっていて、あーそれね、それはね、太朗が作るよ。というように、トピックのケーキは共有された旧情報、太朗が作る、というコメントが新情報なのがわかると思います。
「高品質は、私が保障します。」だったら、高品質が旧情報、”私”が保障することが新情報です。では、「高品質は、これを私が保障します。」といったら、ひとつ前の文より力強く聞こえますね。
こんな作業の中で、国民の、国民と政府の間でとっくに共有された権利を、責任をもって保証しますよと力強く宣言するような条文でしゃべっているのが憲法の特徴的な構文だということです、おわかりいただけたでしょうか。
参考文献:キョウコ イノウエ『マッカーサーの日本国憲法』桐原書店(1994)
言語学の司法における利用
ここからは、言語学の非常に実践的な側面、司法の現場での利用についてご紹介します。
初めに述べた通り、司法の現場の言葉というのはほんの少しの言葉遣いが、誇張ではなく、ある人の人生を大きく変えるものです。
言語学が、事件を解明する?!
手紙やメール、そして自白調書。事件解決の手掛かりとなる証拠の中には、言葉によるものが多くあります。言葉の証拠を解析するのは、言語学の出番です。
ところで皆さん、人の扱う言葉にはそれぞれ、クセがあることにはお気づきでしょうか。この人はこんな口癖がある、この人は堅苦しい文章を書く、この人は柔らかい文章を書く。この人は村上春樹みたいな文章を書く。言葉には、個人の特徴が出るのです。
つまり、人によって書かれた言葉はその人の特徴を反映するものであって、言葉の証拠というのは言葉の意味内容だけでなく、言葉の扱い方という点での手掛かりともなるのです。
この時役立つのがコーパスによる分析です。コーパスというのは、文章や会話のテクストをデータベース化し検索可能にしたもので、不特定多数の用いる言葉からなるそれは、ある言葉や言葉の組み合わせがどれほど一般に用いられるものかを調べることができ、特定個人や職業人の言葉のそれは、その個人やその職に就く人の中でどれほどある言葉や言葉遣いが利用されているのかを調べることができます。ある職業の人が特別良く使う言葉や言葉遣いは、レジスター(職業語)といいます。
事例
それでは実際にコーパス分析が事件の解明に大きく役立った事件について紹介します。
1952年に強盗殺人の共同正犯として死刑判決を受けのちに執行されたベントレー少年は、自身の判決の根拠となった自白調書について、自分の言っていない箇所が含まれていると主張していました。一方で、警察官は彼の供述を調書に正確に、逐語的に書き取ったと主張していました。ついに、調書の言葉遣いの特徴から、調書が少年の供述を正確に書き取ったものではないことが談話分析の第一人者であるクータードにより明らかにされました。
特徴は”then”という言葉の使い方です。自白調書では、58.2語に1度の頻度でthenが使われていました。thenは一般人の証言記録をもとにしたコーパスの930語中1度しか使われていない単語である一方で、警察官のコーパスでは78語に1回の頻度で使用される単語であることから、自白調書におけるthenの使用頻度の高さは警察官の書いた文章の特徴、レジスターを持つものであると指摘されました。
さらに、使用場所にも特徴がありました。一般人のコーパスの中では16万5000語に1度しか出現しないが、警察官のコーパス中では119語に1度みられる「主語+then+動詞」の語順が調書で190語に1度みられ、このことも調書が少年の逐語的な記録ではなく警察官の言葉であることを示しました。
このように、言語学的な解析には、自白という非常に重要な証拠をも、そしてもちろんそれを根拠とした判決をも覆してしまう、そんな大きな力があるのです。
参考文献:橋内武・堀田秀吾編著[堀田執筆分]『法と言語 法言語学へのいざない』くろしお出版(2012)
おわりに
言語学は、何の役に立つかわからない学問かもしれません。学問に直接役に立つことを求めるのはナンセンスですが、何の役に立つかわからない学問をやり続けるというのも苦しいものです。このノートをここまで読んでくださった皆さんはおそらく、いくらか言語学に興味のある方だと思います。言語学は面白いけど、実際何の役に立つんだろう。そう思っている方もいらっしゃるとおもいます。言語学が直接、非常に実践的にわかりやすく、人権を守る役に立つような場面についてぜひ紹介したいと考えて、今回法言語学の分野について執筆しました。時間的な制約もあり、非常につたない文章とはなってしまいましたが、楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
ほかにも言語と司法の関係の中では、言語権、司法通訳の問題など、話したかったとことはたくさんあるのですが、力尽きてしまったのと締め切りの都合上、今回はあきらめました。今後も法言語学について改めて記事を書いていきたいと思っているので、少しでも興味のある方はたまに足を運んでいただけると嬉しいです。皆さんがご訪問してくださった際に新しい記事が読めるよう、積極的に執筆したいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
この原稿は言語学サークル『第三外国語概説・寄稿』(2023)に掲載されたものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?