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”今ここ”を真剣に大切に生きる”あり方”
今日は上の娘が腹痛で保育園を休んだので
娘と一緒に家で1日過ごした。
私もたまたま決まった予定がなく、
このところずっと眠いこともあって、
家でゆっくり過ごすことにした。
午前中は
お腹が痛いという娘のお腹をさすったり、
一緒に横になったりしながら、
娘がうとうと眠る間に、
久しぶりにキッチンの油汚れを掃除した。
お昼前になって、腹痛が落ち着いてきた娘と
一緒にお昼ご飯を食べたり、
庭で落花生の殻を剥いたり、
生りんごと豆乳を絞ったリンゴジュースを飲んだり、
一緒に(こっそり)おやつを食べたり、
家の前で自転車やベビーカーに乗って遊んだ。
これはこれで、
充実した1日だったんじゃないかと思えている自分がいる。
以前だったら、
子どもの相手だけで終わった1日は、無駄な1日に感じていた。
今日1日何もしなかったと、自分を責めていた。
世の中に対して生産性があることや、
新しい知識を得ること、
形のあることを学ぶこと以外は
”何もしていない”と評価してきた自分がいたからだ。
常に、何かぼんやりとした焦りを感じていた。
だから、
子どもの相手や家事をしている間でも、
イヤホンで何かためになる(であろう)ことを聴いたり
英語を聞いていたり、
夜もオンライン講座を受けていたり、
とにかく、何かしていないと落ち着かなかった。
子どもの相手も中途半端で、
聞いている内容も中途半端で、
結局どっちつかずのこともよくあったし、
子どもに邪魔をされ(たと感じて)イライラすることもあった。
世の中に出ていない私は何もできていない。
闇雲に抱えていた焦燥感だった。
今になって、やっと焦燥感は薄れてきている。
ずっと止まっていた時間が動きだし、
少しずつ人生が巡り始めている感覚が出てきたからだろう。
1日1本、日々何か発信していることも大きい。
そして、心の奥底では”大きな力”に導かれている安心感がある。
少しずつ自分の心持ちや物事の見方も変わってきた。
最近は、
”今ここ”にある幸せを感じること
”今ここ”にある豊かさを受け取ること
そんなことを心がけていた。
そこに加えて、
”今ここ”を真剣に、大切に生きること。
つまり、その瞬間に対してどれだけの
エネルギー(時間、気持ち、本気度(≒犠牲))を払えるか。
そこに、その人の”あり方”が問われるということを知った。
すなわち、
掃除をしている瞬間
子どもに100%関心を向ける瞬間
これもまた、大事な学びであり豊かさであることが
少しずつ、腑に落ちてきているということだ。
もちろん、学ぶこと・理想に向かって動くことは大切だ。
毎日ずっと、家に引きこもりたい訳ではない。
ただ、焦る必要もない。
そんな感覚になって、少し楽になってきた。
行きたいところに行き、会いたい人に会い、
学びや人交わりを深めることにコミットできることも幸せ。
目の前の暮らしや子どもとの時間にコミットできることも幸せ。
どっちも重さは変わらないのかもしれない。
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