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まんじゅうこわ くなる

「おれが前いた長屋に饅頭が怖いっていう奴がいたけど、あとでよく聞いたら本当はそうじゃなかったって――饅頭怖がる奴なんぞいるわけねえよな」

「そうでもありませんよ。隣町に大きな酒屋がありますでしょう」

「ああ、立派な構えの」

「あすこの今のご主人は饅頭が怖いそうで……」

「怖い? 左党だから甘い物が嫌いとかじゃなく?」

「いえ、酒は飲めませんし、甘い物も――まあ昔、こんなことがあったものですから……」


「忙しいとこをすまないね。棟梁に来てもらったのは外でもない、倅のことなんだが――」

「帳場の金でも盗んでずらかりやしたか」

「いや、そうではなくて――」

「こないだ口入れ屋から雇い入れたばっかりの、ちょいと可愛い娘ッ子にもう手をつけやがって、そいで子供が出来たからなんとかしてくれと」

「家の倅にそんな甲斐性があるかい」

「だったら嫁探しだ、ねえ。あれももういい歳だからつがいにしようてんでしょ。だったらあっしの知り合いに頃合いの娘がひとり、空き家でいますから――」

「そうじゃなくて――」

「ずるいや、旦那。そっちゃあ答えを知ってるからいいけど、こっちゃあいきなりだ。もうちっと手掛かりがねえと」

「あたしは謎掛けがしたくてお前を呼んだんじゃないよ。話というのは倅の甘味好きのことだ」

「ああ、あれね。ありゃあ好きなんて生易しいもンじゃねえですよ。前に聞いたことがありますがね、朝はおめざって、寝床に入ったまんま、ちょいと干菓子かなんかを摘まないと目が覚めねえんでしょ。三度のおまんまの代わりが饅頭や大福で、おつけの代わりに汁粉をすすって――若旦那、米の飯は、ったら、おやつにちょっと頂きますって澄ましてたね。そんで寝しなに羊羹の厚いのを二切れ三切れやっつけといて、布団の中で飴玉しゃぶりながらじゃないと眠れないってんだから、聞いてるこっちの胸が焼ける」

「家の商売が酒屋だよ。跡継ぎが下戸というのはまあ、商売物に手をつけないからいいと云えばいいが、ああのべつ幕無しに甘いものばかり食べられちゃあ、家の酒まで甘口のように思われてしまう」

「今のうちに締めちゃいますか」

「これこれ、棟梁――それでね、あたしももう歳だ。そろそろ倅に店を任せたいと思っているんだが、今のままではどうも頼りなくってね。せめて甘い物を少しは控えて――」

「そういうことでしたら話は早いや。あっしに任せてもらえりゃあ、もう金輪際、甘いもンの面ァ見るのも嫌だッてくらいに――じゃあ早速、明日ッから造作に入らせてもらいやす」

「造作? なにを作るんだい」

「なァに、あっしが請け合ったからには立派なもンを拵えますんで、どうぞご安心を――」

 翌日には離れの座敷でトンカントンカン始まって、あっという間に座敷牢ができあがる。

「こんなものを作ってどうしようというんだい」

「若旦那ァ閉じ込めるに決まってるじゃありませんか。全身に回った甘毒を抜くためにも、ここに三月から半年の間押し込ンでね、それからじっくり、甘いもンなんぞ二度と口にしたくなくなるようにあっしが教え諭すと」

「あたしは控えさせてくれとは頼んだが、やめさせてくれなんぞひと言も――」

「控えるなんて生易しいことォ云ってたら埒が明きませんや。こういうのは勢いですっぱりとね。それじゃ入れ物ができたんで、あっしはこれから中身を取ッ捕まえて参りまさァ」

 表へ駆け出すと、町内の汁粉屋を回って居続けの若旦那を見つけ、有無を云わさず引っ張ってきて、座敷牢に放り込む。

「ちょ、ちょ――棟梁、なんであたしをこんな目に――」

「旦那に頼まれたンだからしょうがねえや。これも親心ッてやつで」

「息子を閉じ込めるのが親心かい。冗談じゃない。あたしは博打も女遊びもやらないんだ、親を泣かせるような真似は――」

「女郎屋に入り浸って勘当されたって話はよく聞きますが、汁粉屋に居続けて勘当されンのは若旦那が初めてだ」

「か、勘当? あたしが行ってたのは汁粉屋だよ、吉原とは違うんだ。店を総仕舞いしたってせいぜい一両か二両――店が傾くようなことはないだろ」

「そこが大きな間違いだ。たかが一両二両てますが、これが毎日総仕舞いしてごらんなさい。積もり積もって何百、何千両となり、やがては万両、万万両――」

「汁粉屋の総仕舞いなんぞ毎日できるわけないだろ。食べたって一度に三杯か四杯だよ」

「その三杯四杯が積もり積もって万両、万万両――」

「いっぱい十六文の汁粉がどんだけ積もるんだい」

「北国行ってごらんなさい。小豆より細けェ雪が野山を覆うよ。ね、世の中ッてえのは若旦那が思ってるよりずっといろいろあるんだ」

「いろいろって……」

「だいいち、旦那も云ってましたよ。あァたが甘いもンばっかり食べてると、商売物の酒まで甘口ンなっちまうって」

「そんなわけないだろ。あたしの甘党と商売物と、なんの関りがあるんだい」

「だから若旦那は世間を知らねえてンだ。もしあァたが店を継いでごらんなさい、あすこの酒屋の主人は甘党だ、きっと酒の割り水に水飴なんぞ使ってるに違いないって――」

「そんなこと考える人はいないよ」

「とにかくね、若旦那は甘いもンをやめなくちゃあならねえ。だけどあっしも鬼じゃあねえや。甘いもンをやめりゃあ、あァたの名前から若の字が取れるってェ段取りができてるんだ」

「あたしは清太郎だよ。若なんて字は――」

「なに云ってんですよ。あァたの名前は若旦那、ね。そっから若の字が取れるッてなりゃあ、もうあァたの天下だ。汁粉屋の一軒二軒食い潰そうが、誰にも文句は云われねえ」

「ちょ、ちょ――親父がそう云ったのかい? あたしに店を譲るって」

「あっしが請け合ったからには間違いねえ」

「困るよ、勝手に決められちゃあ。あたしは酒の匂いを嗅いだだけで目が回るんだ。だからなるべく家にも寄り付かないようにして……店なんぞ継ぎたくないよ。あたしは横丁でひっそり、汁粉屋をやりたいと常々――」

「そういうのは旦那になって、番頭に店ェ任せてからね、他人に知られないようにこっそり脇に店ェ出して、本宅と汁粉屋を行ったり来たり――」

「お妾さんを囲うんじゃないんだから……それであたしは、いつまで我慢しなけりゃいけないんだい?」

「そりゃあ、あっしがいいと云うまででさァ」

「なんで棟梁が決めるんだよ」

「なんでッたって、旦那に直々に頼まれたんだからしょうがねえ。さあ、覚悟を決めてもらいましょう」


「旦那様、本当によろしいんで? 若旦那を座敷牢に閉じ込めたりして……」

「ああ、番頭さんかい。あたしも荒療治が過ぎるようにも思うが、棟梁が張り切ってしまってね」

「少し早まりましたな。棟梁て人はなんと云いますか、手段のためなら目的を選ばないというところがありますから」

「逆じゃあないかい。目的のためなら手段を――」

「いえいえ、あの人はとにかく頼まれ事が大好きでして、結果どうこうよりも、そこまでのバタバタがなによりの楽しみ。この頃一段とひどくなって、今では近所で揉め事があっても、棟梁の耳にだけは絶対に入れるなというのが町内の取り決めでして」

「そうなのかい? あたしは棟梁が駆け出しの頃から知っているが、そそっかしいところはあっても、そう無茶なことはしなかったと思うが」

「棟梁なんぞと呼ばれるようになってからでございますよ。すっかり舞い上がって、そのまんま降りてこない。トンビみたいにクルクル回っているだけで、なんの役にも立たない――」

「まあそれでも、倅の甘い物好きを少しは控えさせてもらえれば」

「そんな手加減ができるものですか。早く片が付いては頼まれた甲斐がないと、とことんやろうとするに決まってますよ。ああ、あたしは今から、若旦那の身が案じられてなりません」

 番頭の心配した通り、十日も経たないうちに若旦那はやつれてくる。

「若旦那ねェ、こうして三度のおまんまも運んでるッてのに、どうしてそんなにやつれますかね」

「だって棟梁、佃煮だの塩昆布だの大根の醤油漬けだのと塩ッ辛いものばかり持ってくるから、舌はひりひりするし、あたしのか細い喉にはどうも――」

「職人はこういうもンで飯ィかっ喰らうんですよ。さっさと飯ィ済ませてすぐに仕事に掛かって――それに比べて若旦那、あァたずっとクッチャクッチャと……なにを食ってンです」

「おまんまをね、こうしてずっと噛んでいると、仄かァな甘みが喉の奥のほうに感じられてきて……」

「そんなにまでして甘いもンが食いたいかね。このまんまじゃいつまでたったって座敷牢から出られねえンですよ。若旦那が心を入れ替えて、金輪際甘いもンは口にしねえと証文書いて血判押してね、神社に奉納して、万一誓いを破ったならば五体を一寸刻みにされても文句は云わねえて約束すんなら、すぐにでも出られるッてえのに」

「そんなのは無理だよ。ここに閉じ込められた晩から甘い物が夢にでて、この頃は昼間でも目の前にちらつくんだ……饅頭のあのホッコリとした温かみのある甘さが湯気とともにあたしの鼻先をふっとかすめたかと思うと、大福の内に秘めたアンコの充実感とそれを包み込む柔らかな餅の肌触りが頬にやさしく触れる……持ち重りのする羊羹の色艶と、噛んだ時にスッと前歯を受け入れるあの上品なたおやかさ。最中は口に入れたとたんに鼻に抜ける皮の香ばしさと、その後に続くみっちりしたアンコとの交わり。汁粉はあたしは粒あんの田舎しるこが好みだけれど、舌先で柔らかく潰れる小豆の優しい甘さがなんとも……干菓子なんぞは口に含むとスッと舌が軽くなって口中に涼風が吹くようで……アア、棟梁、たまんない」

「およしなさいよ、座敷牢ン中で身悶えなんぞしてみっともねえ。そういう甘毒を抜くためにこン中に入ってんですから。ま、ひと月も甘いもンを口にしなけりゃ、だんだんと身体も慣れてきましょう」

「じ、じゃあさ、棟梁。せめてひとつだけでもあたしの願いを聞いてくれないかい」

「なんです、願いッてのは」

「座敷牢の中はあんまりにも殺風景でさ、気が紛れることがないんだ。せめて花でも飾って貰えないかと……」

「花ですかい? ま、それくれえならよござんしょう」


「だ、旦那様、大変でございますよ」

「どうしたね、番頭さん。血相変えて」

「離れの用事をいいつかっている女中に聞いたんでございますが、棟梁が怒り狂って若旦那を――」

「せ、倅をどうしたって」

「若旦那がこっそり花の蜜を吸っているのを見つけたとかで――やけに花の萎れるのが早ェと思ったら、よくも騙しゃがったな、こうなりゃ甘毒が抜けるのを待ってられねえ、いっそ甘いもンの面も見たくねえってほどに懲らしめてやる――って」

「懲らしめるって――棟梁にはそんなこと、頼んじゃいないよ」

「ですから、そこが棟梁の棟梁たる所以でございまして。目的は忘れて、手段だけがどんどん手に負えなくなってくる」

「倅になにをしたんだい」

「座敷牢の中に風呂桶みたいのを拵えまして、中に汁粉をなみなみと流し込み、逆さ吊りにした若旦那を頭からそこへざんぶりと――耳の穴やら鼻の穴に小豆の粒が入り込み、息もできずに苦しくなって、もうダメだという頃に引き上げられる。ほっと一息つけるかと思いきや、またぶくぶくぶく――これを何度も何度も繰り返し、最後にはさすがの若旦那も、汁粉はもう勘弁してくれと涙ながらに訴えたと」

「倅が汁粉はもう勘弁と? 本当かい」

「あくる日でございますよ。今度は座敷牢にギザギザに尖った板を並べて、その上に若旦那を正座させまして――ただでさえ尖った先が脛に食い込んで痛いのに、嫌がる若旦那の膝の上にこれでもかと羊羹を積み重ね――」

「いつから離れが、火盗改めの仕置き場みたいになったんだい」

「ですからあたしも今、この目で確かめて来ようと離れの座敷へ――」

「せ、倅は無事だったかい」

「あたしが庭先からそっと覗いておりますと、水をくれ、水をくれという若旦那の掠れた声が聞こえて参りまして、どうしたのかと目を凝らしますと、後ろ手に縛られた若旦那の口を棟梁が無理やりこじ開けて……」

「に、煮え滾った鉛でも――」

「カラカラになった上あごのところへ、湿らせた最中の皮をペタッと貼り付ける。自分じゃあ剝がせませんから、アア、取っておくれ、取っておくれと、聞いているあたくしも思わず耳を塞ぎたくなるような若旦那の悲痛な叫び――」

「それでお前、取ってやったのかい」

「いえ、棟梁がおっかなくって」

「と、とにかくこうしちゃいられない。あたしが行って止めないと」


「ち、ちょっと棟梁、なにをしているんだい。あたしはこんなことは――」

「ああ、旦那、ちょうどいいとこへ。今ね、若旦那が最中は金輪際口にしないと誓ったとこで。これで汁粉、羊羹ときて最中もやっつけたから、明日は餅を三斗ばかり搗いてね、まだ湯気ェ立ってるやつに若旦那ァ包んで、若大福ッてえのを拵えて――」

「そんなことをしたら死んでしまうよ。もういい、もういい、あたしが甘い物を控えさせてくれなんぞと云ったのがいけないんだ。もう倅の好きにさせてやっておくれ」

「今さらそんな中途半端なことを―――あっしは旦那がやれってえから汗水たらしてやってンですよ」

「だれもそんなこと頼んじゃいないよ。もういいから、倅には汁粉屋でも饅頭屋でも、なんでも好きなことをさせて――」

「ちょ、ちょ、本気ですかい? これ、隠れて花の蜜を吸うような虫みてェな奴ですよ。こんな大甘野郎のいいなりンなるなんて――かァー、驚いた。親父がこんなに甘いンじゃ、倅も甘党ンなるはずだ。こりゃあ元を断たねえことには治りっこねえや。決まった決まった、甘いもンより先に親父を絶たないとしょうがねえ。さあ旦那、二度と倅の顔も見たくねえッて云うまで、この座敷牢に入っててもらいやしょう」

 旦那の襟首を捕まえると、有無を云わさず座敷牢に叩き込む。慌てて逃げ出した番頭の知らせを受けて、近所の者たちも集まってきて大騒ぎ。座敷牢の鍵は棟梁が持って逃げたので、のこぎりで牢の格子を切ってようやく旦那を助け出す。棟梁はというと、大店の主人に乱暴狼藉を働いたのだから町内にも居られなくなり、その日のうちに何処へと姿をくらませた。

「やれやれ、えらい目にあった。棟梁があそこまで無茶をするとは……ああ、倅や、お前も大変だったな、あんな酷いことをされて。もう甘い物を控えろなんぞ云わないから、好きなだけお食べ」

 ところが若旦那は汁粉を見るとぶるぶる震えて顔を覆い、羊羹はというと涙を浮かべて膝を抱える。最中は口をぱくぱくさせて過呼吸を起こし、大福は身悶えして逃げ出そうとする。

「どうしたんだい、お前。あれほど好きだった甘い物を」

「か、身体が受け付けないんでございます。棟梁に責められて、あたしはもう甘い物を口に出来ない身体に――」

「だったら饅頭はどうだい。饅頭責めはまだ聞いてもいないんだから、これなら――」

 目の前に饅頭が置かれた途端、若旦那はビクッと身体を震わせ、おどおどした目で不安げに辺りを見回す。

「どうしたんだい、ただの饅頭だよ、お前の好きな――」

「そ、そりゃあ嫌いになっちゃいませんけど――でも、行方を晦ました棟梁がいつ何時あたしの前に現れて、どんな責めであたしを饅頭嫌いにするのかと思うと、それが心配で心配で……まんじゅうはこわい」


「というわけで、今のご主人は饅頭が怖いと――」

「へえ、そりゃ酷い目に遭ったもんだ。でも、あすこの主人てのはもういい歳だろ。そんなことがあったのもずいぶん前のことだろうし、まだ怖がってるってえのも……」

「ですからね、今でも忘れないよう、商売物が売れ残ったときは隣町まで持っていって、店の戸前に五寸釘で打ち付けてくるんですよ……へえ、ちょうど蒸し上がりました」

 そう云うと、もとは大工だったという饅頭屋の親父は蒸籠の蓋をとった。立ち上る湯気が、親父の顔を笑ったように歪ませた。

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