あれから。
夏目漱石のパロディではありません。
まぁ、なんとなくつけたタイトルですが。
彩瀬まるさんの「やがて海へと届く」を
久しぶりに再読しました。
現在私は神戸在住ですが、阪神大震災当時は生まれ育った町で(同じ兵庫県ですが)暮らしていました。
ですから、震災を直接は体験していません。勿論、今も忘れられない程揺れましたが。
神戸に移り住んでから時折、実際に当時神戸に住んでいて直接震災を経験された方々から話を聴く機会がありました。
みなさん「あの頃は大変だったなあ」と軽く笑いながら、まぁ昔の話だからという感じで話されていました。
その強さに感銘を受けましたが、やはりそう簡単に話せる事ではない筈です。直接の体験者ではない私は時折申し訳ない様な、いたたまれない気持ちになったものです。
「やがて海へと届く」は東日本大地震で親友を亡くした、しかしその親友の「不在」を受け入れられない女性の喪失と再生を描いた物語です。映画にもなりました。
著者の彩瀬まるさんも旅行中に、東日本大地震を実際に経験されたそうです。
私は今は神戸にいます。復興した、しかし癒されることのない傷を抱えた街で暮らしています。
毎日、海を見ます。かつて人生の再起を賭けて「大検」を受験しに来た時にも見た海です。
あの頃とは違って、海の上には大きな橋が架り、確か存在したマクドナルドはもうありません。
海は同じ様にそこにあります。しかし、何かが違います。それは私自身の抱えた傷がまだ癒えていないからかも知れません。
神戸や東日本、天災に見舞われた色々な土地。街や建物が元通りになっても、決して癒されることのない傷がそこにはあるのでしょう。
それが「生きる」と言うことなのかもしれませんが、あまりに辛い現実です。
それでも、生きていかないといけません。
亡くなった方達のためにも、なによりも自分自身のためにも。
毎日、海を見ます。
私の想いは「やがて海へと届く」のかと。
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