20241013/これから書こうと思う事(仮)Vol.5
今日はピアノのレッスンでした。2ヶ月ぶりかなぁ。結構緊張しました。
ここしばらくのドタバタでピアノの先生にも、大変、心配と迷惑をかけてしまいました。
先生はまた、私がピアノを続けることを大変喜んでくださいましたが、「ああ、ここにも私が迷惑をかけてしまった人がいる」と私の心中は複雑でした。
いつもそうなんですよね。私は大した人間ではありません(美しい謙遜ではなく)。けれど、できるだけ、他人に迷惑をかけずに生きていきたいと思っています。心から。
もちろん、生きていく以上、他人に迷惑をかけずに生きることは不可能です。また、傷つけずに生きることも。
だからと言って、好き勝手に生きていってもいいなんてことも、勿論なく、やはりこの複雑な世界、社会で、他人と共に生きていくには、守るべきルールみたいなモノかある筈です。
「他人を殺していい」なんて問題に、誰もが納得できる理由を説明できる人なんていないでしょう。いたとしても他人を殺して良いわけはないのですが…。コレはまぁ、極端な例です。
一本の草も木も抜かずに道を作ることはできません。生きていくことそのものが、誰かの犠牲の上に成り立っている面は否定できないでしょう。こちらも誰かを生きていってもらうために、誰かの犠牲になっている筈です。
けれど、私はその「他人払わせている犠牲」の度合いと頻度が、少しばかり多過ぎやしないかと思うのです。
今回のドタバタでもどれだけの人に迷惑をかけたかわかりません。そして、この先の人生、ずっと頭が上がらないくらいの恩情を持って、少しずつですが、元の生活に戻れるように配慮いただいています。
本当に、本当に、ありがたく思っています。なのに、またそのうち同じ迷惑を繰り返すような気がする自分が本当に嫌いです。
「もう二度とこんなことは」と、何度思ったかわかりません。その度に自分をひどく責め、周囲に感謝を捧げ、「これからは」と、思うのです。思いはするのです。
けれど、私はまた繰り返してしまいます。
もう、繰り返すまいと思うのに。
人間として、根本から歪んで壊れているのかな?と思いますが、今更治せません。治し方もわかりません。仮に治せたとして、今更罪を償うことなんてできません。困りました。
「何度でも立ち上がる」
「何度でもやり直せる」
良い言葉かもしれませんし、そうでなければこの世界、生きていける人なんて皆無ではないかと思います。
誰だって失敗と挫折を繰り返し、他人を傷つけ、自分も傷つき、自己嫌悪を嫌と言うほど繰り返す。そんな日々だと思います。
私はどうなんだろう?
人に何度も、本当に何度も迷惑をかけ、
それでも周囲の優しさでやり直させて
もらってきました。
それで、少しでも変われたのか?
少しでも前に進めたのか?
どうでしょう。
随分遠くまで来れた気もすれば、
結局、少しも前に進めてない気もします。
これから、どうなんだろう。
どう生きれば良いのだろう。
答えの出ないまま、時間は過ぎて行きます。
明日が、明後日が、その先がやって来ます。
待ってはくれません。
それでも生きていかないといけません。
生きていたいです。
さぁ、考えろ。
スタートはとっくに過ぎた。
残り時間は…?