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20241116/障害?迷惑?権利?

今日あったことを、出来るだけ率直に、そのまま書きます。

誇張も脚色もしません。事実を書きます。

批判や中傷は辞めてください。

私自身、書くか書かないかは随分悩みました。

微妙な感覚や記憶の変化を起こさないために、記録的に書くつもりです。

私自身もこれから考えていこうと思っています。

前置きが長くなりました。始めます。

今朝私は某カフェにいました。週末に読みたかった本を持ってカフェで早朝から街が動き出す時間までノンビリ過ごす。

毎週は無理ですが、休みの日のささやかな楽しみです。

今日はいつもとは違う店で、読書していました。特に意味のない気まぐれです。

本を読み始めて、30分ぐらいかな?隣の席に他のお客さんが座りました。

そのお客さんは聴覚障害の方の様で、スマホ越しに手話で会話を始められました。

私自身も障害者(精神障害者です)で、障害を持っている人とは割と近いトコロで生活してます。

障害者に慣れている。と言うとなんだか語弊があるような気もしますが、とにかく日々様々な障害を持った方々と接しています。その中には聴覚障害の方もいらっしゃいます。

しかし、障害を言い訳にしたくはないのですが、私は他人とのコミュニケーションが苦手で手話もまったくわからないため、聴覚障害の方とはあまり関われませんでした。

先程書きましたが、手話についてはまったくの無知です。本当に何も知りません。

隣の席の方は楽しそうに(手話で)会話をされているようでした。

ただ、楽しいからそうなるのか、手話での会話という事そのものが、そういう事なのかは分かりませんが、私は隣で困っていました。

あまりにも大きな動作で両手を動かされているので、読書に集中できないのです。

「迷惑だな」とは思いませんでしたが、やっぱり困りました。他の席に移るのもなんというか…。

繰り返しますが、私も障害者です。特に日常生活で露骨な差別、嫌がらせを受けた覚えはありませんが、「障害」「障害者」全体にはまだまだ差別や偏見がある事は事実です。

私たち「障害者」が暮らしやすい世界にするために「健常者」の方々には出来るだけの「理解」や「配慮」をお願いしたいです。

無論、我々も頑張ります。自分たちのことですからね。

最近、ネットやSNS 等が普及した影響もあるでしょうが、「障害者」に対する世間の理解や対応も変わりつつあると思います。

ただ何事にも一長一短あると思いますが、色々な考え方が簡単に、広範囲に、素早く、伝わるようになった分、些か「押し付けがましい」「従わないヒトは人格を疑われる」みたいな空気と言いますか、雰囲気が出ているのも事実だと思います。

話をカフェに戻しますと、私は自分の中で「聴覚障害」の人だってカフェで会話を楽しむ権利は当然ある。「精神障害」の私がこうしているのだから。という考えと、

(本当に書くのは勇気が要りますが)

「迷惑だな。本が読めないよ。他のところで手話はやってくれないかな」という気持ちで激しく葛藤していました。

だんだん頭の中がグルグル回る思考でクラクラしてきて、本格的に本が読めなくなってきたので読書は諦め、私は店を後にしました。

去り際にチラッと見た隣の席の方は、外国人の方でした。

外国では聴覚障害の方もカフェを普通に利用されているのかは知りません。日本は遅れているのか?私自身が「とんでもない偏見」を持っているのか?それも分かりません。

カフェを出てから、胸のモヤモヤと言うか、纏まらない(ムリですよね)考えに落ち着けないまま帰宅しました。

スマホで「聴覚障害 迷惑」で検索してみても、「手話」の「迷惑」のポーズ(?)がヒットするだけでした。

「カフェ 障害 迷惑」だと「知的障害」の方々とサポートされる方々の話がヒットしましたが、私の望む答えは得られませんでした。

考えなくても、どのような障害を持っているにせよ「健常者」の方々と同じ生活を我々「障害者」もおくる権利を持っている筈です。

だから、今日のカフェでの方は間違っていないし、(想像ですが)当然の権利としてカフェでの会話を楽しまれていたのだと思います。

でも、じゃあ、私が間違っていたのか?私はトンデモない「差別」をしてしまったのか?自己弁護したくはありませんが、それもまた違う気がします。

話はここまでにします。また時間が経って、別の考えや発想が浮かんできたら、続きを書くかもしれません。

今日のカフェでのひとコマてした。

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