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20241116/戯言 Vol.1

矛盾してると思いますが、SNS というモノがあまり好きではありません。
Instagram はやってますし、X も Threads も Facebook もアカウントは持ってます(完全に死に垢?とか言うヤツですが)。
とにかくスマホがなければ生活してできませんし、使ってはいるのです。メールもLINE もほとんど仕事、趣味関係の連絡用ですが。

それでもやはり SNS が好きではないです。この note も SNS に入るのかな?まぁ、どっちでもいいです。

嫌ならネット上にアップしてないで、スタンドアローンでパソコンに文章書いていればいいじゃないか、とも思います。

「承認欲求」とか言う言葉があったと思いますが、正確な意味は知りません。でもソレでもないと思います。それはフォローや「スキ」をもらえれば嬉しいですが、違うと思います。

文章をネット上にアップしているのは、誰かに読んで欲しい、私の考えはこうなんだ、私は今こんなに苦しんでるんだ。そう言ったことを誰かに伝えたいわけではなく、「誰かが読んでいる」という錯覚を「書かなければいけない」という事実に変換したいからです。

〆切ないと書かないですからね。だらしないから。

まぁ私の意識はどうでもいいです。とにかく私は SNS が好きではないということです。X などに匿名なのをいいことに、人を一方的な偏見で誹謗中傷している人が嫌いですし、それを(恐らく)サッと読むだけで碌に自分で考えないで「いいね!」をタップしていって、なんの責任も感じない人も嫌いです。

お前はどうなんだ?と言われると正直戸惑うと思いますが…。このnote も匿名で書いてますし。まぁ「個人情報」なんて便利な言葉もありますけれどね。

SNS を否定するとか、「あんなモノ無くしてしまえ!」とか言うつもりもありません。人間、一度生活に取り入れてしまったテクノロジーを排除なんて(余程のことがあっても)できませんから。核というか原子力というか…。そうですよね?

「あ、便利やん。使えるやん」

「いや、でもこんな事になっとるで!

アカン、アカン!やめ、やめ!」

という訳にはいきませんよね。私も散々文句を言っておいて SNS を無くしてしまえとは思っていません。「正しい」使い方をしましょうね。とかいう気もありません。無理ですし。

SNS 、スマホ、インターネット、パソコン、etc…。これらのテクノロジーのない世界なんて想像できませんし、しても意味がありません。

悪い面が目立ってきたから「昔は良かった」「過去に帰ろう」なんてのも無理ですし、おかしな話です。

我々人間は様々な個性、人格、趣味、思考、哲学、その他で出来上がっており、誰1人として他の誰かと全く同じ人間なんて存在はしません。これは、この不確かな世界で数少ない「間違いなく正しい」事実の一つです。

ですから、この不確かな世界では様々な価値観が存在し、矛盾を孕みながら、昨日から今日。そして明日へと続いていく(筈)です。

おかしかろうと、間違っていようと、我々の日々の営みは続いていきます。それは誰にも止めようがなく、止める意味もなく。

だから SNS が良かろうと、悪かろうと、そんな瑣末なことは(乱暴ですが)どうでもいい事です。付け加えるなら、考えるという行為に意味がないと思います。

我々は一日一日生きるのに必死です。今日、最上の日を迎えるかもしれませんし、最悪の瞬間を迎えるかもしれません。自殺者も毎日出ていますし、交通事故死も何処かで発生しているでしょう。生きてることが奇跡みたいなものです。

だから、その「生きていく」という大事の中で「良いこと」も「悪いこと」も出てきてしまうのは仕方のないことだと思います。なにせ、人間がやることですから。

無関心ではいけませんが、現時点で発生している様々な「なにか」について、そこまで深く考える必要はないと思います。

5年後、10年後に「あの頃ああだったから、今こうなった」と完全に手遅れになってからでないと「なにか」について考えることはできないからです。

過去の過ちから、いつも何も学べないのが人間という存在の哀しいところだと思います。過去からしっかりと学べれば、もう少し「戦争」とかなくなっている筈ですから。

人間は恐らくその「トライ&エラー」を終わりの時が来るまで繰り返すのでしょう。それが「歴史」というものの姿ではないかと思います。

え〜疲れてきたので、この辺で終わりにします。最初に書こうと思っていたことから随分外れてしまいました。毎回ですけれど、いかんなぁ。

蛇足ですが、このブログを書こうと思ったキッカケは某有名俳優さんが、最近亡くなられた某有名俳優さんを悼む発言をしたら「不適切だ」とか「知性を疑う」など"炎上"してるといった内容の記事(曖昧ですが)読んだからです。

某有名俳優さんの弁護をするつもりはありませんが、その方は亡くなられた有名俳優さんを本当に「悼む」つもりで発言されたのだと思います。別に亡くなられた方の名誉を汚す様なつもりは全くなかった筈です。

なのに SNS では「品性を疑う」などの暴論が正論の様に罷り通っているのです。

「品性を疑う」のはどちらなのか、言わずともわかりますよね?

繰り返しますが、こんなことが罷り通る今の世の中に危機感を感じます。こんなことが、5年後10年後に「歴史」として記録されているなら恥ずべきことだなと思います。

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