ルネ・デカルト 小泉義之訳 方法叙説、講談社学術文庫、2022.1.11

ルネ・デカルト 小泉義之訳 方法叙説、講談社学術文庫、2022.1.11
行きつけのコーヒー店のマスターが読んでいる。
取り組んでいる、國分功一郎著、スピノザ、と、読了した、前田英樹著、愛読の方法、にデカルトの「方法叙説」が語られている。ので読んでみました。<私は思考する、故に、私は存在する>の有名な書物です。
「叙」は、順序や序列を述べるなどの意味を持つ漢字。
土曜日の英語の談話会MCのイギリス人、Drewさんが、本を読み、先生の話を聞くのは苦手だった。学校からはドロップアウトして、仕事や旅の中で、生活や人生に本当に必要なことを学んでいったと、自信をもって、よく語ります。デカルトも、法学士にはなったが、学校でならったことに限界を感じて、違った道を模索しています。スコラ哲学と地動説の時代ですのでさもありなんです。学校の言葉はラテン語でした。
訳者の小泉さんの解説に、興味深い文章があります。==「教師への服従を脱することが許される年齢になるとすぐに」、「文献の研究から全面的に離れた」。その代わりに、「自己自身」か「世界という大きな書物」のうちに発見できるはずの「学知(知識)」を追い求めた。そうして、「旅」に明け暮れ、「宮廷と軍隊」を調べ、戦場で命がけの行動に打って出ることによって、「書斎」では発見できない「真理」を発見することを追い求めた。しかし、生きていくのに有用な知識や真理が戦場に転がっているはずもない。デカルトは反省を強いられることになる。==
注釈に、デカルト(1596年 - 1650年)はプラハで白山の戦闘を見た。とあります。プラハの博物館でも展示がありました。以下、再確認です。
白山の戦い(1620年11月8日)は、ボヘミア(現在のチェコ共和国)の首都プラハ近郊の山、白山(チェコ語名ビーラー・ホラ )でのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との間で勃発した戦闘。プロテスタント貴族側は敗れ、27人がプラハの旧市街広場で処刑された。チェコではこの戦い以後、18世紀から19世紀頃に起こった民族主義運動が勃興するまでの期間を暗黒時代と呼ぶ。

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