「大人こども」が増える今
ネットが普及するこの時代、個々の人間レベル(人格)が落ちているように感じます。 最近はどこを見ても”大人こども”が多いのです。
"大人こども"と総合力
人間力は「人と関わることで得られるもの」「成功や失敗」のような経験を通して自分自身を見つめ直すことで育まれます。人間力は座学では学ぶことができない、つまり教わり知っているだけでは身につくことはない能力なのです。
”大人こども”は自分自身で気づかなければ身につかないことを避けてきた人間であると私は感じています。
人の様々なステータスのバランスの良さを表す言葉として”総合力”を使います。
ステータスの例としては、
技術的スキル
外見、身だしなみ
コミュニケーション力
アサーション力
礼儀、言葉遣い
信念、意志の強さ
総合力の高さは一般的に人としての価値として評価されるため、総合力が高いと”仕事ができる”だったり”人気者”といった称号がつくことが多いです。
職場が自分の能力の評価をしてもらう唯一の場所であった昔のサラリーマンたちは否が応でも総合力(ステータスのバランスの良さ)を求められながら仕事を続けてきました。人と人がお互いに快く過ごすための努力をお互いに作っていたのです。
大人こどもが増える背景
一方で、仕事の多様化によって総合力が必須ではない社会であるのが現代。
今は人と関わらずとも、人の機嫌を伺わなくともお金を稼ぐことができる大変ストレスの少ない社会になりました。コミュニケーションが不要、静かに黙々と仕事ができる、好きなことをしてお金を稼ぐことができる環境は自由度が高くストレスレスです。しかし、自分の思い通りにことを進めることができ、自分の発言したいことをありのまま言葉にできる環境は人としての成長を足止めしてしまいます。
例えば、相手に気持ちよく話をさせてあげる能力、自分が言いたいことをぐっと飲み込む能力、歩き方、姿勢、無礼のない作法、言葉と思いやりと気遣いのキャッチボールを繰り返すことで生まれる空間・雰囲気の作り方です。 このような成長項目は多少のストレスがある環境に揉まれ、傷つき、それを乗り越えることで得られるものです。少なくともひと昔前のように多くの人が総合力を学べる環境にはありません。
インターネットが普及してから
また、ネット社会特有の匿名性を盾に、タガの外れた発言を繰り返す文化も今の社会を作り出しています。 今はインターネットの世界での権力があるとその人の意見が罷り通ることが多いです。
尖った人間が大きな力を持つ時代だからこそ、”大人こども”は増え続けます。 知識はインターネットに溢れかえっています。そして知識を蓄えることだけで自分の能力を過信する人が多いのです。
経験からしか学べない力
その過ちに気づき、正すことができる機会は人とのコミュニケーションです。
人と会い、顔を見て、仕草や表情を伺う。
その言い回し、口癖、話し方には棘がついていないか?
握手やグータッチ、ジェスチャーによる意思疎通。
話すときは胸を張れているか?表情は気持ち悪くないか?
相手がどう感じるかを考えて発言しているか。
このような能力は、方法を知っただけでは絶対に身につかないのです。
実際に人を傷つけてしまったり、嫌な顔をされたり、嫌われたり、気まずくなったりして初めてそこで自分の過ちに気づきます。
この能力がなくとも、きっと人生で不便を感じることはないでしょう。
しかし、そこでその人の能力は頭打ちになります。人格レベルの高い人間から見るとその人の能力不足は一目瞭然。「この人はここが足りてない」とすぐにわかってしまいます。
誰かは気づいていること
本当に余談ですが、確信していることがあります。
人間の総合力は全て外見に表れるということです。
その人を見て「何かおかしいな」「違和感があるな」と感じるならば、その人は総合力が低い(ステータスのバランスが悪い)のです。人間は遺伝子レベルで本能的に無意識的に人を評価しています。あなたが違和感を感じるということは本能が「おかしい」と警告しているのです。
総合力の高い人間と低い人間の差が開いています。資産格差が広がっていると言われる現代ですが、私は同時に人としての総合力の格差も広がっていることに多くの人が気づいてほしいと思っています。
歳をとったみっともない大人が増殖する世界にならないことを願います。