『ミッドナイトスワン』を観て
映画『ミッドナイトスワン』
観たいけど、避けていた作品。
だって、絶対胸痛くなるやつやん、心がぐにゃぐにゃぐちゃぐちゃなるやつやん。
でもやっぱり観たくて、観ました。
「うちらみたいなんは、ずっと一人で生きていかなきゃいけんけえ、強うならんといかんで」
バレエのレッスン料を稼ぐために、友人に誘われ違法アルバイトをしていた一果。警察沙汰になり、保護者として迎えに行った凪沙が一果に言ったひと言。
トランスジェンダーである凪沙、ネグレクトの母のもとで育ってきた一果。
「誰のことも頼れない。」
「誰も助けてくれない。」
「誰も理解してくれない。」
「誰も守ってくれない。」
そんなことばが聴こえてきそうで、寂しさ、辛さ、諦め、絶望、悲しみなどが感じられます。
そんなふたりが、互いに支え合うようになっていく中で、凪沙は一果の母親になりたいと思うようになります。
一果はバレエを通して希望を見出し、凪沙はそんな一果を支え応援したくなる。
凪沙は、頼られたい、助けたい、理解したい守りたい、そんな想いが溢れんばかり。
バレエのレッスン料やコンクールにかかる費用を稼ぐための手段も積極的に増やし、努力します。
ただただ「そうしたい!」と溢れてくる欲求に従う姿に強さを感じます。
1人で生きていかなきゃ!というのも凪沙にとっては事実だったのだろうけど、そのときの強さは、強がっていなきゃ立っていられないような脆さを感じる。
無条件に与えるとはこういうことなのかもしれないな、と。
「ねぇ、一果さぁ、変わったね。」
「何が?」
「すっごく話すようになった。」
「なってないよ。」
「なったよ。」
一果の友人りんからはじまるやりとり。
このシーン、印象的で好きでした。
りんは裕福な家庭に生まれながらも、両親はりんのことなど無関心。娘を見たいようにしか見ない母に対して、かつてあったであろう欲求はもう感じられず。唯一、バレエをするわたしとして認められていたが、それも足の怪我のために絶たれることに。
そんな彼女が、一果が変わったと感じるところを
「明るくなった。」
「かわいくなった。」
「バレエが上手くなった。」
と伝えていくのだけど、一果は全て否定する。だけど、りんは、更に肯定する。
変化する一果を見ながら、嫉妬する気持ちもあっただろう。でもこのときは、素直にまっすぐに伝えているように感じた。
一果に対して愛おしさのような気持ちが湧いていたようにみえた。
これもまた「与える」だな、と。
自分が感じていることを素直に伝えることって、相手が受け取っても受け取らなくても、与えること。
感じるってそれ自体が愛なのかもな。
はぁ〜〜〜〜っ。
自分で感じていること、実感してないって、
悲しいね。
あぁ、悲しいわ。
ぁ、心の声、大きめに入りましたが、まあそんな自分を知るために観たのでしょう。
人や自分が夢中になれることとの出会いを通して、変化していくふたり。
凪沙は、母親になりたいという欲求が芽生えたわたしに出会い、一果はバレエに夢中になるわたし、人を信じるわたしに出会う。
自分のことも含めて、周りの人たちの変化したところを観察しながら過ごしてみよう。