わたしの中のわたしたち
今日は、ひとのことが開催している“開闢”というオンラインサロンに参加。
自分の中にいろんな「わたし」がいるということを知っていても、どんな自分がいるのか自覚するまでの間はわたしにとって苦しい時間。
今日の夕方、「しっかりしてなきゃ!」というわたしがいて、そんなわたしでいる時間は緊張しているとうことを知る機会があった。
そんな自分のことをより知る時間にしようと決めて参加した。
過去にもよく出てくる「お父さん」と名付けているその人は、一緒にいる人に対してわたしが頼れる人ではないとジャッジしているときに出てくる。
それは、両親が共働きをしていて、自分が頼りたいときに頼れる大人がいない環境にいることが多かった幼少期時代、自分を守り自分を生かすために出てきた人だった。
当時のわたしは、頼りたいときに頼れる人がいなくて心細かった。隣にはいつも年子の弟がいたが、年下だから当時のわたしにとっては頼れる人ではなかった。寧ろ、守らなきゃ!というか、わたしが構わなきゃ!みたいなことを思っていたと思う。
その後、大人になってもその「お父さん」はよく登場していた。同級生と遊んでいるときは、無邪気なわたしなのに、年下と遊んでいるときはどこか緊張していて威勢を張っているわたしが出てくる。
そのときは、目に見える年齢というものにとらわれ、年下は頼れない人カテゴリーに入れていたのだろう。
そして最近は、精神性の学びの深さによって頼れる人と頼れない人の仕分けをしているという自分がいることを知った。
それは相手の一部だけをみて判断をしているだけに過ぎない上に、実際は思っている何倍も頼れるどころかすでに頼っていることが大いにある。
弟に関してもそう。そばにいることを疎ましく感じていた記憶が色濃くあったが、実はいつも弟と一緒にいることが心強く、その存在に助けられていたのだ。
ほんの一部だけをみて判断し、頼れない人というカテゴリーに押し込め、自分が心細さを感じることを避けるために、「お父さん」を登場させる。
こんなことがわたしの中で繰り広げられていた。
この「お父さん」の想いはどんなことだっただろう。自分でなんとかしなければいけない環境は、幼少期のわたしにとっては辛いこともたくさんあった。
だが、同時に監視のない自由な環境も得ていた。それに何より「自立したい!」という想いをもって、両親を選んできたのだ。
フルタイムで働きながら家事をこなし、右も左もわからない中、必死に子どもを育てていた母に協力したい想いもあった。
協力したい自分と子どもらしく無邪気でいたい自分がよく葛藤していた。
それは、今も変わらない。
子どものようなわたしは、素直だが素直ゆえに突飛押しもないことを言い出したりして、周りにいる人たちを驚かせる。
そんなわたしが飛び出してこないようにと監視するわたしがいて、おそらく「お父さん」がそれを担っている。
心細さを感じないようにするために登場しているお父さん。
恥をかく存在、自分が傷つく原因となる存在として扱われていて、登場させないようにコントロールされている無邪気な子どものようなわたし。
どちらも恐れを回避しようと必死。
まぁ、この時点ですでに恐れの中にいるのだが。
ふたりともわたしの協力者として存在するなら、どんなふうに魅力や能力を発揮するだろう。
お父さんは、おおらかさを発揮する人。
相手の一部ではなく全体をみているし、人の力になることを喜んでいる。
子どものようなわたしは、楽しむことに長けている。いろんなことが遊びになる発想力や想像力を発揮する人。
そして、わたしがふたりの協力者になるなら。
お父さんが心細さを感じることがあったとしても、それをわたしも一緒に感じている。
どんなときにどんな助けが欲しいのか、耳を傾けている。
子どものようなわたしが素直に表現するための力を貸せる存在になっている。
そのために、表現力を磨き、知性を身につけている。
ふたりの協力者として、具体的な行動へと落としこみ、実行していくことがわたしの課題。
「自分を知るってやっぱり楽しいや!」
これは、子どものようなわたしが言っている。
彼女の存在をわたし自身がハラハラして消そうとしていたが、今日は楽しむ能力を発揮したから喜んでいるね。
協力してくれてありがと。
「やっと俺らしさを発揮できる日がくるのだな。監視し続けるのにはもうほとほと疲れていたから、ほっとしたよ。」
これは、お父さんが言っている。
ほんとしんどかったね。
おおらかさが魅力なのに出番はないし、それどころか監視したり、ジャッジすることで人との距離ができたりもして、寂しかったろう。
お疲れさま。