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人生は予測できない その驚きを楽しまなきゃ!

「今日の1枚」は、ブロカントボックスより。
ブロカントボックスは足つぼマッサージにも似ている。役割は同じなんじゃないかな。

心の動きに合わせて設える。
いろいろ思考が挟まるのが邪魔くさかったが、そんな自分がいることを認めつつ、それでもまた心の動きに合わせてみた。

ちなみに思考は「余白多すぎじゃない?」とか「え?誰と誰なん?」とか、「もうちょいカッコよくしたいのに。」といったツイートが流れていた。
「うるさいわ!やりたいようにやらせてよ!」
「いやいや思考がすぐにはじまるわたしもわたしやん。まだ何か上手くやりたいとか、他の人からの評価が気になるわたしもおるんよ。それでもどうするかはわたしが決めたらいい。」
独り言が会話に変わる。
「今日のわたしは人にどう見られるか?は一旦横に置かせてもらうわ。」
そして、今日のわたしのしっくりはこうなった。

眺めてみて。
はじめは、誰かと誰かかなぁ?と想像してみたけど、すぐにピンときた。
「これ、今のわたしの第3チャクラと第4チャクラじゃん!」ってね。
ムーミンが寝ている下のボックスが第3チャクラ。
自立しようとしているわたし。わたし自身の欲求。眠ってるわ〜。おそらくこれあながち間違ってないわ〜。
そして第4チャクラ。
ちゃんと座ってるし、暖かく見守ってるの。心を開く準備はできているのに、「怖さ」すらちゃんと感じようとしないわたしがいるから、もどかしかろう。

ブロカントボックスも足つぼマッサージも今のわたしを客観視することを手伝ってくれる。
今の自分にどんなことが起こっているのかを知らせてくれる。

今日の足つぼマッサージ

・基本(腎臓~膀胱)
・全体
・胃、腸
胃と腸のあたりが顕著に詰まっている。
数日前まで食べ過ぎていたけれど、昨日から食べる量が減ってきた。
体が「感じる」ことに心を開きはじめているのだと推測している。

今日のビブリオマンシー

 しかし、不安を拭い去るもっとも強力な武器は、自分の人生において、前に進もうというみずからの決意なのである。
 今を生きること、そして、今この瞬間を、過去や未来に対する考えに縛られて、ムダに過ごしている自分と向き合うのだ。

自分のための人生 ウェイン・W・ダイアー

繰り返してきた過去やありもしない未来に、自分の思考を委ねて足踏みをしている。
たった今感じていることに身を委ねることなどやったことがないから、とにかく怖い。怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖いっ!

ぐずぐず言っていることは知っている。
自覚した上でぐずぐず言うことにする。
(これ、いつか、絶対誰かの役に立つから)

心は未知なる道を歓迎しているのに、体は逃げようとする。逃げるというか、抗う。
「人生は予測できない」のが真理だと頭では理解できても、これまた頭で「予測できるもの」にしようとするわたしがいる。予測できるものとは、1ミリも成長しない道のことだ。

忘れもしない、1年生くらいだった頃の息子が教えてくれた。
「あれたい!レース、レースと一緒。同じコース回り続けても面白くなかろ?だけん自分で創るとたい。だけんオレは好きなことたくさんすると。」と。

予測できるものを選んでいる限り、そこに成長はない。なんなら、安心なんてものもない。満足もない。ないないづくしなのだ。
真の安心はないけれど、思考で安心なことにしている。ただただ感じてみれば、そこにあるのは、虚しさ、退屈、空虚感。思考って如何様にでも使えるものなんだなぁということを実感している。
そうやって、事実から目を逸らして生きてきた。

人生は予測できない その驚きを楽しまなきゃ!
これは、これから1ヶ月のわたしのテーマ。
事実から目を逸らしながら生きる人生のどこに自分がいるのだろう。
これまで楽しかったことがそうではなくなっている事実を見る。認めるもなにもない。ただそうだというだけ。そうだと知りながら、楽しいことにして生きる人生のどこに面白さがあるのだろう。

予測できないことに怖さを感じるわたしがいてもいい。でもほんの少しでも楽しみにしているわたしがいることも認めよう。退屈なわたしを救い出そうとしているもうひとりのわたしがいることに気づかないふりをするのもやめよう。
今日のわたしが予測できない人生にある驚きを楽しんでいるのなら、テーマにはならない。そうなりたいわたしの欲求があるか?と訊かれれば、迷いなく「YES!」と答える。

じゃあ、その望みを叶えよう。

人生は予測できない その驚きを楽しまなきゃ!


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