息子と映画デート
3日前から予告して「映画見たいなー。誰か行く人いないかなー。」と家族の前で言い続け、夫と息子2人から「1人で行ってきなよ。」と言われていた。「2時間半もあるの長過ぎるよー。八犬伝てなに?」と中2の長男。
じゃあ、もういいや。私1人でのんびり観に行こうと昨晩、チケットをネット購入しようとしていたら、やっぱり僕もいこうかなと長男が手を挙げた。
うんうん。やっぱり一緒に行きたかったんでしょ。「別に…お出かけしたかっただけだよ。」
まあ、いいや。ポップコーンでもなんでも買ってあげよう。
今日は長男と映画デートだとはしゃぐのは私だけ。
私よりも背が高くなったし、判断能力を身につけた我が子にはもう母親としての努めを気を張ってする必要もなくなり、気楽なお出かけだ。
私も、八犬伝がどういうお話なのかも何も知らず、知っていたのは作者が滝沢馬琴ということだけ。とりあえず、ポップコーンを頬張る長男と共にわくわくしながら開演を待った。2時間半という長さに私も集中できるかなと思いながら。
映画が始まると、当初心配した2時間半の長さなんて問題ではなくとてもおもしろかった。うかつにも泣いてしまう私。それを横目で温かく見守る長男。なんというか色々考えてしまった。やはり、馬琴が奈落で鶴屋南北と語る場面と、宗伯の友人渡辺崋山が馬琴に語る言葉が印象的だった。そして、私は馬琴の妻、お百が可哀そうで仕方なかった。
私の祖父も父も自分の趣味が忙しい人だったので、祖母や母がお百のように夫に対し厳しい言葉を浴びせる様子を幼少期に見たことがある。だから余計にお百が可哀そうに思えてしまった。お百は全く自分の心を満たせないまま、一生懸命暮らしを支えていたのだから、人に対して厳しくなってしまうのもすごく理解できる。お百の「私の人生なんだったんだろう。」という言葉、亡くなる時まで満たされない思いを抱えているなんて可哀そうすぎて泣けた。
映画館を出て長男と感想を語りあう。「要するに嘘も100回言えばほんとになるってことでしょと思いながら見てた。」と話す息子。「うーん。そうかな?そうか?そうか。」とりあえず、ドラえもんの映画でなくても最後までちゃんと見られるまで成長したんだね。今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ。