銅像なんて楽しくない。ブレたって、揺れたっていいじゃない。
私は、素晴らしい人とは自分の軸が強くあって、
銅像のように強風にさらされてもどこ吹く風、
何事もないかのように生きているのだと思っていた。
もしくは、そもそも”何事もない”のだと思っていた(こっちの方が強いかも)。
けれど最近は
「隣の芝生がは青く見えるだけなのかもな」
と、実感を持って感じ始めている。
それは色々な人の内面の話を聞く中で分かってきたこと。
誰しも、誰かを羨むことがあると知り、
私もその一人だったのだと分かってきた。
私が羨む誰かも、
私が気づいていないだけで、
強風にさらされているのだ。
『揺れ』を感じて、嘆いている日もあるのだ。
そう思うと、本当に銅像な人生がいいかと言われると・・・
そもそも、そんな不感症な人はいないのだろう。
みんな、強風な日も、雷雨に遭う日もあるんだろう。
365日、525600分、凪いでいるわけではない。
ただ、私から見た『素晴らしい人』は、
・確かに自分の軸(大事にしたい考えや物を自覚している)があり、
・揺れたりブレたりするんだけれど、治った時にまたもとのニュートラルな状態にもってれる
・雷雨中も根底では軸を中心に考えていて、
・自分の感情も大切にできる
そんな人なのかもしれない。
銅像な人生が楽しいか、いやそんなはずはない。
いろいろあるけれど、自分の軸に立ち返って、
リセットしたり、ゆっくり元の自分に戻れる、
そんなマインドを持ちたいな。とふと思ったのです。
隣の芝生は青い、お隣さんから見たら、うちも青いのかも。
読んでくれてありがとうございます。