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情報社会のジレンマ:何を信じ、どう判断するか
2月28日をもって、現在の会社を退職しました。サラリーマン生活は(途中で保険代理店等の仕事を6年しました)、おおよそ33年ほどになります。
この間、バブルが起こり、崩壊し、「失われた30年」を生き抜いてきました。その中で社会は大きく進化し、かつては考えられなかったような変化が次々と起こっています。
こうした変化の中で、何が最も重要なのか?つい考え込んでしまいます。
テレビやネットから、日々さまざまな情報が流れてきます。しかし、日本のテレビ局が報道する内容と、海外から流れてくる日本の姿は、なぜこれほどまでに違うのか?甚だ疑問に感じます。
どちらが正しいのか正直わかりませんが、例えば兵庫県知事選挙に関するテレビ報道とネット上の情報を比較すると、その内容には大きな違いがあり、情報の乖離を強く感じます。このような状況に直面すると、本当に何を信じるべきなのか、深く考えさせられます。
情報があまりにも多すぎる今、何が真実なのかを見極めることは非常に難しく、つい思い悩んでしまいます。
現在、AIや海外ビジネスに携わる中で、さまざまな疑問が生じています。膨大な情報に囲まれながら、日々試行錯誤を繰り返し、思い悩み、格闘する毎日です。総務省のデータによると、2002年のインターネット全体の情報量を10とすると、2020年には6000倍の6万に達しているそうです。今や私たちは、スマートフォンを開けば無限とも思える情報に触れることができます。しかし、その膨大な情報の中から本当に必要なものを選び取ることができているでしょうか?例えば、SNSやニュースサイトには毎日のように新しい情報が流れてきますが、その中には事実と異なるものや、意図的に偏った情報も少なくありません。さらに、現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の一年分、平安時代の一生分にも匹敵すると言われています。このような状況の中で、私たちは何を信じ、どのように活用していけばよいのでしょうか?
情報があふれる時代では、ただ知っているだけでは十分ではありません。むしろ、情報を取捨選択し、信頼できるものを見極める力が求められています。例えば、コロナ禍では「陽性者数」「感染者数」「実行再生産数」「病床使用率」など、さまざまな指標が報道されましたが、それぞれの意味を正しく理解し、どの情報を基に判断すべきか迷った人も多かったのではないでしょうか。また、SNSでは誰かの発言が一瞬で拡散されますが、真偽を確かめないまま感情的に受け止めてしまうケースもあります。こうした情報の洪水の中で、自分なりの判断基準を持つことが重要になってきています。
このような情報過多の時代において、私が特に重要だと考えるのは「情報の受け取り方」と「情報の発信の仕方」です。まず、情報を受け取る際には、発信者の意図を考えることが大切です。同じニュースでも、メディアによって切り取り方が違うことがあります。そのため、できるだけ複数の情報源を比較し、事実を多角的に見る視点を持つことが必要です。例えば、ある政治的なニュースについて、一方のメディアは肯定的に報じ、別のメディアは否定的に伝えている場合、その背景にはどのような意図があるのかを考えることで、より本質に近づくことができます。
また、情報の発信の仕方も重要です。現代では、誰もが簡単に情報を発信できる時代になりました。しかし、その分、誤った情報や感情的な発言が拡散されやすくなっています。私たち一人ひとりが、発信する情報に責任を持ち、できるだけ正確で有益な情報を伝える意識を持つことが求められています。例えば、飲食店を選ぶ際に「食べログ」や「Retty」、家電を選ぶ際に「価格.com」、化粧品選びで「@コスメ」など、専門的な情報が集まるサイトを活用する人が増えています。これは、情報の信頼性を担保するための一つの手段です。個人の意見が集約され、ある程度の客観性が確保されることで、私たちはより適切な選択ができるようになっています。
情報が洪水のように押し寄せる今こそ、私たちはどの情報を受け入れ、どの情報を発信するのかを慎重に考えなければなりません。私は、情報をただ消費するのではなく、自分なりに整理し、考え、自分の言葉で発信することが大切だと考えています。私たちはこの情報社会の中で、自分なりの視点を持ち、価値ある情報を発信することが求められているんだと思います。