「生活を転換する指針」
会社の後輩が元気がないので一緒にお酒を飲みに行きました。彼は営業成績が伸び悩んでいて、すごく落ち込んでいました。「できればやめたいです」とふと口にした彼を励ましたくて、若かりし日の自分を思い出しながら、自分の過去の恥を彼に話しました、
今から数十年前の就職が決まって、とある会社に入社したものの、営業に配属されたものの営業成績はいっこうにあがらず、文字通り追い詰められていました。
誰も助けてくれず、文字通り「孤立無援」の状態に陥っていました。
「もう、やめよう。」
そう思いたち後先考えず1週間の休暇をとり、岡山・広島・島根を回りました。
しかし、どこにいっても気持ちはいっそう惨めになるだけで、なんの打開策を見出すことはできませんでした。
その時、ふらっと立ち寄った本屋でみつけたのが、デール・カーネギーの「道は開ける」という本でした。
その1節に「生活を転換する指針」というのがあり、食い入るように読みました。
そこには、私と同じような境遇の息子に対して父親が送った手紙のことが書かれていました。
「愛する息子よ。おまえは旅に出たが、自分の気持ちがいっこうにかわらないことに気づいただろう。変わるわけがないのだ。なぜなら、お前が同行したのは諸悪の根源であるお前自身なのだから…。心の焦点距離を変えなさい。変えなければならない。そうすれば事態は一変するだろう。それが、わかれば帰っておいで。」
というような内容でした。
私は、自分のことを言われてるようで、涙がとめどなく溢れました。
そしてその文章を何度も何度も読み返しました。
それからどれくらい時間がたったのかはまるで覚えていません。
でも私は何故かもう一度やり直す決意をしました。
「とにかくやれることをやるしかない。」
もちろんすぐに結果は出ませんでしたが、人が1日3件しか回らないところを10件回るようにしました。
そしてできることは何でもやるようにしました。
いろいろいう人もいましたが、時折へこんでは立ち直っての繰り返しでしたが、半年後私はトップセールスの仲間入りをしました。
それ以来、いくつかの会社を渡り歩きましたが、どの会社でも同じようにやって客観的には優秀な成績をおさめることができました。
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ。」
トヨタ自動車を作った豊田喜一郎さんの言葉です。
豊田喜一郎さんでさえこう思ってたんなら凡人の自分はもっと頑張ろうって素直に思い自分なりに頑張りました。できることはそれしかなかったからです。
とかく人間は環境のせいにしたり、自分の不遇を嘆きます。
でも、強い信念さえあれば、たいていのことはできてしまうと誰かが言っていました。
後輩にはこういいました。
「足りないものを嘆くのではなく、自分の今あるものを大切にして、今を全力で生きみたら。そうすれば、1年後・3年後の未来は、きっとよくなるから。」
純粋に彼が元気になってくれるといいなって思っています。