見出し画像

挑戦の先にある未来

「われわれが、新会社をスタートさせた時は、工場は間借りだし、設備だって貧弱極まりないものでした。正直言って技術だって自慢できるほどのものじゃない。従業員の給料も安ければ、福利厚生設備だって無に等しい。

だいいち、いつつぶれるかもわからない。会社といったって、不安定極まりないものです。

もちろん、会社のネームバリューもゼロに等しい。要するに、物質的要件はなにもない。何の保証もない。こんな状態で、従業員を雇って、“働いてくれ”なんてことが言えますか?とても言えません。少なくとも私には、とても言えなかった。

しかし、現実にはガムシャラに、ムチャクチャに働いてもらわなければならない。そうしなければ名もない、実績のない会社など、たちまちにつぶれてしまう。では、どうすればいいか?」

創業3年目の1962年。そう述べた男は、単身アメリカに旅立った。
しかし、何ら成果のないまま帰国。
そして、またアメリカに渡るものの、失意のまま帰国。
三度目の渡米で、ようやく成果を得ることになる。

断られても断られてもあきらめない。
「何とかしなければならない。」
そうして、何十番目かにあたったのが、インストゥルメンツ社だったのです。

インストゥルメンツ社は、ちようどアポロに使う抵抗器のために、特別に信頼性の高い部品を探していました。

元来アメリカの会社は、コネなし、有名無名を問わず、実にフランクに対応してくれると言います。このときも過去の実績や伝統に関係なく、できるだけ多くのメーカーの製品をテストしたいということで、この男の会社にもチャンスが訪れたわけです。

インストゥルメンツ社としては、
「テストの結果、もっとも優れた製品を採用する。」という道理にかなった選択をしたに過ぎませんでした。

そして、何度かのテストの結果、この男の会社の製品が採用されることになったのです。

これが、突破口になりました。“インストゥルメンツ社が契約した!” “アポロの部品に採用された”という事実は、今まで無視し続けてきた日本のメーカーをもつき動かしました。

「面白いものですね。それまでは、まともに取り合ってくれなかった同じ素材が、アメリカ製品の中に組みこまれて逆輸入されると、注文が殺到し始めた。同じ製品がアメリカ製というラベルがついた途端に、絶大なる信用を得てしまった。」

こうして、ニュー・セラミックと言う素材は、一度アメリカに輸入され、アメリカ製品として逆輸入されるようになったのです。
そして、この会社は大飛躍を遂げることになります。

臆病で、病弱、挫折を繰り返した男が勝利を得たのです。
京セラ創業者稲盛和夫さんの若き日の物語です。

このエピソードを通して言えることは、困難や不安定な状況に直面しても諦めずに挑戦し続けることの重要性です。稲盛さんが示したように、初めは技術や資源が乏しく、会社が成功する保証もない中で、ガムシャラに努力し続ける姿勢が最終的に大きな成果を生み出しました。

特に、何度も挫折し、失敗を繰り返しながらも挑戦を続けることが、最終的には大きな成功への道を切り開いた点が強調され重要だと思います。加えて、アメリカの会社に採用され、その後逆輸入されることで信頼を得るという過程は、実力を証明することの大切さや、他人に認められることで新たなチャンスを得ることの重要性を教えてくれます。

大事なことは、最初の困難な状況に屈することなく、情熱を持ち続けて努力し、柔軟にチャンスを捉えていく姿勢が、最終的には大きな成功を生み出すという事実です。

現在の日本の現状を照らし合わせて考えると、厳しい経済状況や社会的な課題に直面している中でも、諦めずに挑戦を続け、柔軟に変化を受け入れることが重要だということです。特に、少子高齢化、経済の停滞、グローバル競争などの複雑な問題が影を落としていますが、それに対して「挑戦し続ける姿勢」が今こそ必要だと感じます。

物質的な要素や安定性がない状況でも、情熱を持ち続け、成果を積み重ねていくことで突破口を見つけられる可能性があります。特に、企業が抱える競争力の低下や労働力不足などの問題に対しても、新しい発想や技術の導入、グローバルな視点を持って挑戦することが求められます。

また、日本の企業や個人が国際的な競争に対応していくためには、海外の市場やパートナーと積極的に関わり、国内だけでなく国際的に展開できるチャンスを見出すことが重要です。このように、閉塞感を感じる現状においても、挑戦を続け、外部の世界と連携しながら新たな可能性を切り開くことが、最終的には日本全体の成長に繋がるというメッセージが込められていると感じます

いいなと思ったら応援しよう!