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生涯一度だけした病気が人生を狂わせた

病気は怖い。昨日までの幸せな日々やこれまで築き上げてきたものが一瞬にして無くなる。私の家系は脳の血管の奇形の遺伝的要素があると知ったのは、病院の集中治療室だった。脳内出血や癌や心臓病は死につながる怖い病気で、ほとんど事前の兆候もなく健康な人が突然介護が必要になったり死んでしまったりする。

私が今までに一度だけ入院する病気をしたのは今から12年以上前のことだ。健康だった私は、あの夜映画を見に行っていた。その時突然右目の奥が痛くなり劇場から出た私は真っすぐに歩けず映画館のホールの柱に何度も頭からぶつかり気持ちが悪くなりトイレで何回か吐いた。一緒に映画を見に行っていた友達が私の部屋まで送ってくれたが、そのまま2日部屋で寝てしまった。3日目の朝5時にゴルフの約束があるのに姿を現さない私を心配して友達が私の部屋に見に来てくれ2日間の事を話したところ「何やってんの」と言って私をタクシーに乗せ病院へ連れて行ってくれた。私の命の恩人だ。病院の受付で、住所を書いている時にどこに何を書けばいいのかわからず気が付いたら私の後ろにストレッチャーが有り寝かされて記憶を失くした。目が覚めたのは集中治療室だった。テレビで見るような手術用の照明を背に立った白衣のドクターが「親戚に脳の病気をした人はいますか」と言われたが私は分からないと答えた。手術が必要なので承諾書にサインをするように言われサインした。手術の説明を受けた後一旦集中治療室から出されるも見舞いに来てくれている家族と友人にこれから手術するすることをドクターが伝え再び集中治療室へ戻された。手術の段取りは、脳内出血をしていて血管が破けている患部をカテーテルで塞ぐ手術をして最悪の場合は、開頭手術をすると言った内容だった。
そして手術は始まった。カテーテル手術は失敗に終わり脳内出血が起こり開頭手術に切り替えられた。手術は成功しましたとドクターに言われ集中手術室から出られたのは手術が始まってから16時間後だった。70㏄ほど脳内に出血したとと伝えられ、あと数ミリ出血が中枢神経側にずれていたら後遺症が残ったでしょうと言われた。その次の日から検査とリハビリの病院生活が始まった。
病室で寝ている間も頭を動かさないように本当に寝たままの生活だった。今でもそうだが左の後ろ側の視野が欠けている。脳内出血した時に脳内の神経が切断され視野が欠けていると言う事だ。
脳の病気なので、検査も瞬間的な記憶を調べるものや4づつ増える数字を数え続ける検査などMRI検査やCT検査にとどまらず様々な検査をした。一か月ほどで退院のめどが立った時には、普通に歩けなくなっていた。退院ののちも歩くリハビリをして普通に歩けるようになったのは、退院後半年たった頃だった。

今こうして今アルバイト生活を送れているのも命の恩人の友達のおかげだ。会社経営をしていた私は退院後3年で妻と部下の裏切りで倒産自己破産に追い込まれた。今、鬱病で不眠症なのも倒産自己破産の時の影響だと思う。

しかし、もし今も会社経営を続けていたらあの時の倒産・自己破産以上に負債は膨らんで酷いことになっていただろうと思う。人生を狂わせた病気だったが、最悪なことを免れさせてくれた病気だったのかもしれない。そののち叔父と叔母がくも膜下出血で亡くなっている。私は、怖くて湯船に長く浸からない出来ればシャワーで済ませるような生活を心がけるようにしている。

病気をする前と後で特に変わったことは、病気前は会社経営のためのことに追われ無理をしていたが、病気後は自然体を心がけ血圧も気持ちの持ち方で怒ることなく平静な心で安定血圧を維持し仕事も無理しないように心がけていて内科と心療内科に月に一度は通い
心と体の安定をドクターたちの力も借りて自然な生活をする様に心がけ検査も余病のため出来るだけ受けるようにしている。