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理想の死に方

兄弟は居ない、友達も片手もいない。子供は一人娘で嫁いでしまっている。孤独で、孤立に近い生活をしている、私の今考えている理想の死に方です。

  理想の死に方
 私は、死ぬ直前まで働き生活を愉しんで死にたい。
2024年に労働法が改正された。改正の要点は厚生年金と社会保険のアルバイト・パートまでの拡充だった。
この改正により週20時間月の収入八万八千円以上のアルバイト・パーとも正社員と同じく社会保険と厚生年金の強制加入が雇用主である会社に課せられた。
 私は、自分の経営していた会社を10年と少し前に辞めており今は、母親の介護と自分の生活費が稼げればいい状況だ。
既に年金の受給額も決まっている。これ以上厚生年金に加入しても年金支給額が、そんなに増えることはなく、もし社会保険厚生年金に加入すると給与手取り額がが額面の6割程度になる。そうなると生活が立ち行かなくなるため箪笥貯金して、自分で運用するなりした方がいいと考えたので、社会保険厚生年金の加入義務の枠に入らない時間・給与額・仕事の仕方で仕事をするために現在ふたつの会社で仕事ををしている。
そのうち一つは、アルバイトで週二十時間未満、ひと月の給与額八千八百円未満に調整している。もう一つの仕事は、委託契約なので報酬だから所得税を自分で確定申告して居れば、社会保険と厚生年金の加入義務からは除外される。
 そもそも私がフリーターになったのは、50を少し過ぎた時だった。三十四歳で法人を立ち上げ社長業をしていたが50歳で脳溢血を発症して開頭手術して一か月入院した。それをきっかけに社員たちと子会社の社長の妻と幹部社員が造反を起こし会社維持が出来なくなり五千万弱の負債を抱えて倒産自己破産の申し立て裁判をした。その裁判は、一年と半年に及び裁判費用も六〇〇万円ほどかかり、まさしく一文無しになり人生の再スタートをしたからだ。
私を裏切った妻とはその時点で離婚し私は、介護が必要な母を連れて東へと移り住んだ。
自己破産者は、すぐには会社を立ち上げ商売をすることが出来ない決まりだが、人に雇われて仕事をすることはできる。
私は、裁判結審後に自己破産裁判が結審して負債が法律上清算され
やり直し人生が出来る復権照明を区役所に取りに行き社会的な信用を得るためにも自己破産中の者が従事できない警備会社でアルバイトした。警備会社に採用されたと今から考えても綱渡りの生活状態で救われた思いで感謝に堪えない。
そのあとも50台にして色々なアルバイトをした。イベントの設営作業とか運送ターミナルの荷分け作業とか倉庫内の検品、荷分けなど収入を得るためには何でもした。
 この経験は、現在の私にとって社長業を20年ほどしていた以上に仕事をする上の基礎になっている。社長時代は必死に営業して社員の生活を守るため仕事を用意してマニュアル化し社員の能力を引き出し教育して仕事をしてもらうことが主な仕事内容だったが、
現在は、如何に人に自分が他人に使われやすくするかが基本の仕事の姿勢になっている。社長時代に比べると真逆の立場・考え方で仕事をしていることになる。
 現在している仕事は、弁当屋と葬儀屋でアルバイトと業務委託の仕事をしているが、年齢の壁は高く何時解雇か依願退職してほしいという声がかかるかわからない状況だ。
労働法では、それなりの大きな過失や会社に損害を与えたという確固たる理由が無い限り労働契約に定められた定年契約以外での解雇はできない。定年年齢まではまだまだ先は長いが、先が見えていることには変わりない。私にとって雇用継続は重大な問題だ。
 出来れば、70代80代まで続けられる仕事を探して、祖父のようにケアハウスで、食事に来ないのがおかしいと思ったケアスタッフが部屋に見に言ったら果物の入ったスーパーの袋を机の上に置き椅子に座り亡くなっていた様になりたい。祖父は果物を食べたいので買い物に行き自分の部屋で椅子に座って一休みしているあいだに他界したのだ。きっと朦朧とする意識の中で買ってきた美味しい果物を食べたのだろう。
私が求める理想的な死に方を祖父は見せてくれた。
 東への移住先は、海岸のある街に私は住みたかったので東京湾ベイサイドの公団住宅を選んだ。公団住宅を選んだのは敷金礼金が無く公的組織が運営していることと民間と違い年齢の制限もなく、もし私が死んだときの賠償も特殊な場合を除いてさほどの金学がかからないからだ。
 越してきてから6年は母の介護とアルバイトの生活だったが、現在は母を施設に預け一人暮らしをしている。私自身が突然死ということもあるので、トイレの電気が24時間以上点かないと緊急連絡先に連絡がいく宅配業者が行っている「見守りサービス」にひと月1000円程で加入して、まだ存命の母と自分の葬儀費用・身の回りの整理の費用をを貯蓄している最中だ。
 死ぬ前の日まで働きたいと思うのは、老齢年金が十分な金額ではなくは生活が出来ないのと社会との繋がりを持ち続けたいと考えているからである。もし今アルバイトをしていなければ、公団住宅での近所付き合いはないし完全に孤立・孤独な単身者になってしまい精神的にも老化という面でもどうなるか分からないからで、仕事さえしていれば、責任感も生きる張り合いもできて、健康に健全に生活できると思うからだ。
 一人で仕事もせずに毎日過ごさなければいけなくなることは、「死を待つ」だけの日々、最後の人生終末の生き方だと思う。
 仕事ををしていれば、10名以上の仕事先の人たちとの仕事上のコミュニケーションとる必要があり叱られたり励まされたりすることが、生きていると感じて生活することが出来るからで、出勤なのに仕事に来なければ、会社の人が緊急連絡先に連絡してくれる。

つまり仕事をすることは、社会と繋がっている。
社会と繋がれば、安心感がある。

 「あちらへ行く」のを考えるのはまだまだ先の話で、
死期が迫ったと感じる前に、いまつかっているベッドや生活必需品を最低限にして、畳の上に布団を敷き何冊かの本と僅かな家財道具だけの生活スタイルにしたい。

 私は、祖父、祖父母、父いずれは母」の入る墓守をしている。
その墓も伯父叔母が墓参りをしなくなるきっかけに墓じまいして海洋散骨にしようと思う。
それは、私の後はもう墓守をする人が居なくなるからだ。

 親から受け継いだしなければいけないことなどもあり
身辺を整理するのも大変だ。
しかし生きていく以上生きることを愉しみたく仕事をして若い人たちと一緒に働き自分であえて狭めた歩いていけるだけの生活圏の中で愉しく自分のしたいことに向かって生きて生活したいものだ。

私は現在、他家に嫁いだ一人娘と親しい友人の二人を緊急連絡先にしていてその二人には、部屋のカギと私の葬儀のお金を預け死後数日で部屋に見に来て私を見つけた後の手間がかからないようにしておきたい…まだまだ先の話ですが。
本当は、地域での繋がりの中で「あちらに行った」後始末をしてもらえるといいのだが、現在そのような制度や繋がりはない。
 死して、遺恨を残さず穏やかに「あちらに行ける」のが一番いいと思う。

死んで、人の手を煩わすことなく引き際は綺麗にしたい。