旧制高校生のバンカラスタイルに憧れていた僕
平成の時代に東京都下の公立中学校、都立高校に通っていた僕は学生服に全く縁がない学生生活を送っていた。所謂、ブレザーを着ていたからである。つまり、僕が中高生の頃は学生服は首を締め付けるので発育上良くない、とか軍隊を彷彿とさせるから戦時中を想起させる等といった理由で廃れてしまっていたのだった。
ところが僕は時代に逆行する男だったので、学生服どころか学生帽まで着用したがる、戦前の旧制高校生の格好に憧れる少年だったので、このブレザー一辺倒の学生生活は大いに不満だったのである。
なので高校受験を控えた中三の時にはその2007年当時で唯一学生服に学生帽の着用を指定していた私立の巣鴨高校を受験しようとして担任の先生を驚かせたものだった。その頃の巣鴨高校は偏差値が70以上もある進学校であったので、僕の学力では「合格出来ない」とはっきりと言われたし、第一そんな学生服に学生帽を着用出来るからといったようなふざけた理由で進学するものではない、と叱られもしたものだった。
故に仕方なく僕は自宅からそう離れていない都立高校を推薦入試で受けて合格し、進学。当然その高校は都立高校であったので、制服は学生服ではなくブレザーである。こうして僕は中学校と高校を学生服とは無縁のまま送ったのだったが、大学で応援団に入団する等して学生服や学生帽を着用する道もある事は知ってはいたものの、何故か大学に進学する事はせずに、プロレスラーを目指して挫折し、最終的には看護専門学校に入るも、そこも中退する事になる。
要は全く学生服とは縁がないまま、学生生活を終えてしまった訳なのだった。しかしながら、何の奇縁か分からないが、僕は二十一歳の時になって学生服を着る最後で最大の機会に恵まれる事となる。それは漫才師になる為にあの大川興業の入社試験を受けたからである。大川興業とは昔学生服を着ながら花火というパフォーマンスを行って一世を風靡した芸能集団である。
江頭2:50が所属していた事でも有名であろう。つまり僕はこの大川興業の学生服至上主義に反応してそこの入社試験を受けたのだった。因みにこの時の僕は合格する気まんまんでいたから、予め自分の身体に合ったサイズの学生服を購入したものだった。しかし、残念ながら僕は入社試験に落ち、結局その学生服は買うだけ無駄となってしまったが、後年二十七歳の時のだったが、セーラー服おじさんというコスプレおじさんの存在を知ってその認識が変わる事となる。
たまたまこの人を高田馬場駅で見たのだが、あまりのインパクトとその吹っ切れ振りに感動して、「もう何でも良いから、自分が好きな格好をしちゃえ、セーラー服おじさんがいても良いなら、学ランおじさんがいたって良いはずだ。」と思ったのである。それから三十歳の時まで僕は地元以外の場所で積極的に白線帽子を被って学生服を着用した上で、黒マントを羽織った旧制高校生の格好をして街を闊歩したものだった。ただ如何せん、三十歳を越えてくると、我ながら痛痛しいものを感じたのでそれからはコスプレとしても学生服と学生帽を着用する事はなくなったが、今でもYouTubeで大学の応援団の映像を観ていると、無性にバンカラが恋しくなる今日この頃である。