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何故2009年の出来事を私小説にしたいのか。

2009年当時の僕は某都立高校に通う高校2年生だった。部活動にも入ってはおらず、故にかなり悶々とした高校生活だったのだが、僕は敢えてこの日々を私小説にまとめたいという思いが強い。その理由としてはそもそも僕が描きたい私小説の世界にはスマートフォンを一切登場させたくないから、と云うのが大きい。僕はスマートフォンが好きか嫌いか、で言ったら嫌いだ。スマートフォンはとても便利だが、いっその事なくなって欲しいとさえ思っている。

そう思う理由としては、「苦役列車」を読んだ事が挙げられるだろう。「苦役列車」は舞台が昭和61年となっている為に、スマートフォンはおろか、携帯電話さえない世界となっていた。僕はこの小説に描かれた、不便ながらも生の人間同士の濃い付き合いを行う世界観に憧れたのである。仮に「苦役列車」の中でスマートフォンを主人公や登場人物達がいじくる場面が出てきたなら、僕はゲンナリしてしまって好きにはならなかったであろう。スマートフォンが出てくる世界はやれLINEがどうだの、SNSがどうだの、と余計な物が入ってくる為に、私小説の中に生の人間感情の濃さのようなものを入れたい僕としては至ってそれが鬱陶しくて邪魔なのである。

そうなると1992年生まれの僕の人生を振り返った場合、スマートフォンが普及してない世界だったのは2009年までの事となる。翌2010年からは若年層の間ではスマートフォンが普及し出したようであるから、どう考えても2009年までと限定されてしまう事はやむを得ないだろう。そうすると2009年には僕は17歳であって、私小説として描ける期間の中で一番歳を取っていたし、高校にも通っており、同級生共々受験勉強一色になる前であるので、その時の出来事を私小説にしやすいのである。

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