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8.半吉イズノットデッド

「脳卒中 なった人」と検索すると、
脳卒中になった人の寿命はどれくらいですか?
脳卒中で死ぬ人 割合
など、当時は見たくない内容が並んでいた。

動画を探してみよう。
確かアイドルがライブ中脳卒中になってその後、みたいな動画だったと思う。発症した瞬間の映像が出てきて怖かった。その後セラピストとして働く様子が紹介されていて、確か指の麻痺が残っていたと思う。

関連動画を見ていく中で、ある動画を見つけた。
タイトルは、

「脳卒中で入院中の皆様へメッセージを贈ります。
片麻痺YouTuberの会」

なんて物騒な会の名前なんだろう。世界はサカサマ!という片麻痺のご主人と、奥様のYouTubeチャンネルだった。ちなみに片麻痺という言葉を知ったのもこのタイミングだった。

内容はまさに僕のような人と、その家族への動画だった。自分の少し先の未来が見えたような気がした。またコメント欄には自分と同じ状況の人やその家族がたくさんいた。

別に物理的に何が変わったわけではないが、僕のような境遇の人がいるだけで救われた気がした。この時点で、この先がわからないから怖い。という最も大きな感情が、この先を知って安心したい。に変わっていた。

6月16日
左手で介助する形で、右手に皿を持たせることに成功した。

皿を持った右吉

この日は朝から天気が悪かったが、夕方に虹が出てすごく綺麗だった。虹を見て写真を撮るほどテンションが上がるのは何年ぶりだろう。

この頃はひたすらYouTubeを見まくっていた。世界はサカサマ!さんのチャンネルには実際のリハビリ動画や、現在の手足の状況や、障害者手帳のことなど、今まさに知りたい情報が載っていた。

将来への不安が少し解決されたことによって、建設的な態度でリハビリに望むことができた。外を歩くリハビリをできるようになったのもこの時期だ。

6月25日
セラピストさんと家庭訪問を行なった。
発症した日以来の自宅に帰ってきたが、入居した期間が短すぎて実感が沸かなった。

階段の登り下りは問題なかった。念の為手すりをつけてもらうことになったが、30代のため介護保険が使えず全額自己負担だった。

また布団を処分してベッドに変えた。今までは酔っ払って帰ることが多かったので布団でないと落下の不安があったが、禁酒することになったためベッドに変える決心がついた。

家庭訪問で特に危険がないとわかったら、一時帰宅、外泊を組むことができるようになる。

コロナが5類に分類されるまで、この病院では外泊はもちろん、面会もできない時期があったらしい。

現状は日中3時間であれば面会可能で、一度に5人まで面会時間も制限ナシ。日常生活で不安が無ければ、外出外泊も可能。

このシステムで寂しいんだから、僕はコロナ禍に発症してたら耐えられなかったと思う。リハ室が使えず部屋でのリハビリとなった時期もあったらしい。リハビリするために家族と離れ入院してるのにだ。その時期じゃなくて本当に助かった。

この日幼稚園で娘が泣いてしまったらしい。パパがいなくて寂しいと。泣き続けて、最終的に熱があったので早退する事になった。主治医の先生にお願いして、早く外泊できるようお願いをした。

6月29日
PTさんと杖と装具を付けて外歩きのリハビリを行った。
病院近くには国道があり、ここの横断歩道は距離も長い。結果は半分渡ったところで信号が点滅して、もう一回信号を待った。

渡り切れなかった横断歩道

交通量が多い交差点のど真ん中で信号を待ちながら、必ずリベンジしに来ると決めた。この後駅まで行って病院に帰ったが、終了時間ギリギリになってしまった。

調べた結果、信号を一回で渡り切るには1mを1秒で歩かないといけないようだ。ちょうど病棟の手すりに10mのテープがあったので、そこを通るときは少し早歩きで歩いて練習した。

積み木を借りたりお手玉やミラーセラピーなるセットをネットで買ったりして、部屋でのリハビリも充実させた。

リハビリハッピーセット

セラピスト同席のリハビリは3時間しかできなくても、一日はあと21時間ある。睡眠と食事を除いてざっくり10時間以上リハビリはできる。

行動量で回復できないだろうかと、自主トレに励んだ。今までこんなに必死に頑張ったこと、あったろうか。

とりあえず病棟を歩いて、歩数を達成したら部屋に。手指のストレッチをして、物を掴む。掴んだら、カゴに運ぶ。積み木が終わったらお手玉。終わったらミラーセラピー。言語のプリント2枚。プランク、腹筋などなど筋トレ。終わったらストレッチ。マッサージガン。

体幹や足は、少し良くなったと思う。肩肘もクレーンゲームみたいだが、入院当初と比べてかなり動くようになった。指は握れるけど離せないという状況が続いていた。

周りの人達を見ても、僕の手指の回復が遅いのは明らかだった。年配の患者さんが自由に両手を使えてる横で、ブロックや石鹸の箱を掴んで離せないでいる。日に何時間もできない事を見ていると、情けなさにも悲しさにも似たなんともいえない感情になる。

この日は特にうじうじしていて、家族にこんなLINEを送っていた。

歩くのもちゃんとできない。右手が上手に動かなくてビニールも掴んでられない
子供達もだっこしてあげられない。これからどんだけみんなに迷惑かけて、その度情けなく思って後悔とかすると思う
好きだったお酒もタバコもベースも弾けなくて歌も歌えなくなってる頭もわるくなって車もだめ、
いつ再発するかもわからない
12年くらいが寿命らしいみたい
死ぬほど前に戻りたい
どの気持ちと向かい合うのかもわからない

12年という数字がどこから算出されたものかもわからないが、とにかく凹んでいた。この日もナースステーションに行き、ああでもないこうでもないと相談させてもらった。

看護師さんの対応能力はやはり大した物で、この状態の僕と20分ほど話し、最終的にはとりあえずコーヒーを豆から挽くのを趣味にしたらどうかということになった。

日によって気持ちにムラがあったが、リハビリをサボったり、やりたくないと思ったことは無かった。そこのモチベーションは保たれていた。

7月1日
主治医の先生が丁寧に説明してくれた。僕は血圧が原因で脳出血を起こしたので、今後も血圧を気をつけて、運動をしっかりしていれば普通の人と予後は変わらないそうです。申し訳ありませんでした。

そして7月6日の外泊許可が降りた。一時的にだが、家族で一日過ごすことができる。この日は小躍りしながら暮らした。

つづく

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