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5.半吉、新天地へ

こうして僕は5月17日から回復期病院に入院した。回復期とは、脳卒中において発症より二週間から六ヶ月までの期間を指す。読んで字の如くとても回復する期で、麻痺した神経さえも回復する無双状態と言われている。言われてはない。

そんな黄金期に集中してリハビリするために回復期リハビリ病院がある。僕が通っているこの病院では、土日祝もなく一日3時間のセラピストさんのマンツーマンのリハビリを行うことができる。多分正月もクリスマスも何もない。

3時間のリハ以外にも、食事や着替え、歩行、風呂など様々な日常生活の練習を行っていく。その中で病院には"見守り"なるシステムが存在している。

何かしらの病気に罹って、日常生活の練習をする段階にあって一番怖いのは転倒である。そのため転ばないために行動が制限されている。最初はベッドの上から一人で移動することが制限されていた。ベッドから降りて移動するには、ナースコールを押して人を呼んでから動かなきゃいけない。トイレも同じくである。これが"見守り"である。

しばらく経つと試験のように、何人かの看護師さんないしセラピストさんに見てもらい、危険性がなければ"自立"となり一人で行動できるようになる。それまでは食堂へ行くのも、歯磨きをしてその後ベッドへ行くのも見守りがいる。

最初の1か月は自由に動きたい一心で安全な動作を練習した。

5月17日
10時過ぎに病院に到着し、CTを取って手続きを済まし3階の病室に向かった。両親と妻も来て一緒に説明を受けた。退院時期は概ね9月上旬言われ、あまりに先の事なのでピンと来ていなかった。早く家に帰りたいと思っていた。

昼食は食堂で食べており、4人がけのテーブルに案内された。僕以外に3人の先輩が座っており、簡単な挨拶を済ました。この歳で脳出血になった人がいることに驚いていた。先輩達も脳出血、ないし脳梗塞に罹っており、それぞれ入院時期も症状も違うが仲が良さそうだった。

名前を聞いたのでメモしたいが目の前でメモするのは失礼だと思い、部屋に戻るまで覚えておこうと思ったが、2週間くらい覚えられなかった。

今まで食べてこなかった野菜を、今回を機に食べようと決めた。姉にもらった介護箸でインゲンや椎茸を何年かぶりに食べた。

ご飯を食べる時に麻痺側の口に米粒などを付けやすいことを、先輩に教えてもらって知った。この人達も少し前はそうだったらしい。麻痺がどちらにあるかわからないほど手が動いてる人もいて羨ましかった。この時僕の右手は、肩、肘、手首、指すべて、全く動かなかった。

ご飯を食べ終わったら車椅子で部屋に連れて行ってもらい、洗面台へ。歯磨きが終わったらまた人に来てもらい、車椅子でベッドへ。

この日初めてのリハビリがあった。PTさんに連れられて1階のリハ室に来た。長い太ももまでの装具を付けてもらい支えてもらって歩いた。この時話すときにかなり吃りもあったので、あまり話せなかったのと、失語により理解も追いついていなかった。

17時頃になるとセラピストさんが来て、次の日の予定を壁に貼っていく。僕はそれを写真に撮り妻と母に送った。これは8月7日現在でも続けている。妻と母は、よっぽどの事がない限り毎日見舞いに来てくれている。マザコンでかつ奥さん大好きな寂しがり屋の僕は、本当に感謝しかない。

この日は妻に、落ち着いたら何でも好きなものを買ってあげる約束のLINEをした。忘れないように書いておこう。

21時の消灯以後、夜中に誰かが叫んでる声やうめき声で少し怖かったが、新たなステージに上がったような気がして、よく寝れたと覚えている。



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