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2.起きたら半吉だった件

僕は5月4日に急性期病院に入院してから、一度も意識は失っておらず、手術も受けていないが、なぜか記憶が無い。

5月9日までの約1週間、妻や両親とも話をして、医師の方からも病名等説明を受けたり、まして食事もしていたはずだが、全く覚えてない。これも症状の一つだったんだろうか。

5月10日
この日久しぶりにスマホに電源を入れた。そしてすぐに、6桁のパスコードがわからない事に気がついた。思い出そうと粘ったが結局、一旦初期化してバックアップから復元することにした。

夕方にやっとLINEなどアプリ等諸々復旧することに成功した。すぐに妻にLINEを送った。下記が実際の文章だ。

やっと、ラインが使えるようになりました!
〇〇ちゃんに全部全てなすり、申し訳ない
〇〇ちゃん、大好きだよ
申し訳ないど、もう少しがんばる
ごめんね
子供たちも会いけど、もうちょっと強くなってから
もう少し日本語もちょっとから
ごめんね、〇〇ちゃんを楽させはずなるの俺
もうすぐ、強くなって帰るから

この文章を打つのに何十分か掛かったのは覚えている。今読み返すと脳が動揺してたんだろうと思う。今まで使ってきた日本語が違和感だらけに思えて、部分的な表現や活用が抜け落ちる感覚。

話すことはできるのに、文章にするのは難しい。であれば動画を撮って送ればすぐ伝わると思い、動画を撮り始めた。

話せない。頭でどんな事を言いたいか浮かべることはできる。しかしそれを言葉にして口に出すことができない。

後から聞いた話しだが、妻や両親は、僕が何を言ってるかわからなくても、わかってるように相槌を打ってたらしい。だから僕はそれまでちゃんと話せないことに気がつかなかった。ショックを受けないように、そうしてくれてたのだろう。

いきなり涙が出てきて、しばらく泣いてた。

右半身は動かない。
文を書くことも話すこともまともにできない。
子供達はまだ小さい。
妻に苦労をかけてしまうかも知れない。
親に恩返しも全然できてない。
この先仕事はどうするのか。
自分がちゃんとしないといけないのに。
このまま生きられるのか。

この時泣いていた理由はこのあたりだったと思う。なんで俺なんだ、と。

ひとしきり泣いた後に、何かしようと思った。妻や両親が優しいから言ってないだけで、自分はもうすぐ死ぬかもしれないとすら思っていた。

だから大切な人や心配してくれた人達に向けて動画を撮ることにした。内容は今の容態、みんなへのお礼などだった。今確認したらこの動画もtake6まであった。

とりあえず自分の現状を確認して、少し落ち着いた。落ち着いたからこそ、おむつや自分から出ている管や、ぼさぼさになった髪を不愉快に思った。

そしてまた泣いて、眠った。

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