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季語「鯉幟」詠んだ句から一句

浦風のなくて眠れり鯉幟  阿部みどり女

 
  この句の作者阿部みどり女は、明治生まれの女流俳人草創期ので俳人。「ホトトギス」で写生を学び、自身の俳誌「駒草」を創刊、長年にわたり俳句界で活躍した方である。

  経歴を見ていて面白いと思ったのは、高浜虚子が「客観写生」を説くと、彼女は画家の下で素描を始めたというくだりだ。対象をしっかり見なくてはならないという点では、共通するところがあるとは思う。

 しかし、だからといって俳句の表現力が向上するかは疑問。もっとも疑問の根拠になるデータは自分でしかないから確かな根拠があるわけではない。

 ただ、こうした彼女の探求心や師の教えに率直な点が、俳人として歴史に残る力になっているとも感じる。これは、すなわちわが身を振り返っての反省である(笑)。

 さて、反省はさておき、この作品であるが吟行句であろう。浦風は海辺を吹く風なので、この鯉幟があるのは海辺の景。きっと海からの風を含んで生き生きと空を泳いでいるはずの鯉幟であっただろう。

 ところが浦風は止まっている。風車は音を立てず、大きな真鯉も緋鯉も旗竿にだらりとさがっているばかりだ。みどり女はこの景を「鯉幟が眠っている」と捉えている。この把握で描写が詩になっているし、機知にもなっている。俳諧の基本要件である「諧謔」とは、「機知」と当てはめるのが最もふさわしいと考えている。その伝で言えば、この句は諧謔の句であるが、もう少し深読みすれば、浦風は「時勢」であり「鯉幟」それを生きる人かもしれない。いつの時代にも時勢に外れる人はいるものだ。この句が古さを感じさせないのは、時代を超えた普遍性があるからだろう。
   
異論もあるかと思うが、俳句という詩形の面白さは、読み手によって完成するところにある。俳句は作者の手を離れると、作者の意図とは異なる解釈をされる可能性もあるということだ。詠み手のひとりとしては、意図とは異なる解釈が戻ってきたとき、それを楽しむことで俳句的な世界観が広がると考えている。

 阿部みどり女は明治19年(1886年)に生まれ、昭和55年(1980年)に亡くなった。明治、大正、昭和の三代を生きた長寿の方だった。「まなうらは火の海となるひなたぼこ」も解釈の仕方で見方が変わる。心に残る句だ。(丸亀丸)

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