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南洋的西洋的な珈琲は牛乳の薬味

「珈琲」はコーヒーと読むが何とも雰囲気のある当て字である。こうした明治期にできた造語はじつに巧みなものが多い。俳句の世界では未だに珈琲と漢字表記することが多い、それだけで格調高く感じるからかもしれない(笑)。
 コーヒーは明治になって西洋料理とともに伝来したが、明治19年か20年頃のコーヒーに関する逸話を寺田虎彦の随筆で知ることができる。寺田虎彦は旧東京帝国大学物理学科卒業の物理学者で随筆家・俳人。1878年(明治11年)に生まれ、1935年(昭和10年)に亡くなっている。
 彼の著作「珈琲哲学序説」は、いささか大袈裟な題名であるが、これは彼一流のユーモアである。書き出しは「八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。」とある。
 ちなみに八九歳は89歳ではない(笑)。この当時、牛乳は一般には普及しておらず常用の栄養品でもなく主に病弱な人間の薬用品であったと書かれている。しかもおおかたの日本人には、匂いも味も受付がたいものであった。

※タイトル画像はMarukimaruの自作ですが「しちゃうおじさん」プロデュースの「みんフォトプロジェクト」経由で自由にお使いいただけます。背景色のバリエーションも揃っています。その他にもMarukimaru作品が「みんフォトプロジェクト」にギャラリー展示されいます。



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