今日のもやっと#1
さて寝ようと思ったらもやってしまった。考え出したら止まらない性分なので書き留めておこおう。今日はにらめっこと出入り口について。
にらめっこ
本でも書かれるし、最近ではSNSなどの投稿文のなかでもよく使われる「〜とにらめっこする」という言葉。なんかもやる。
睨めっこの意味を調べてみると、「睨み合う」という意味のほかに「注意してみる」「見続ける」という意味があるらしいのだが、普段文中で使われているような「にらめっこ」とは若干意味合いが違うような気がしてもやっている。
例えば「今日は携帯と睨めっこしていた」という文章。よく聞くし私自身も使ってしまいそうな言葉だが、本来の「にらめっこ」という言葉の意味と照らし合わせた時に、なーんか意味が合致しないんだよな。
携帯を触っている本人は「見続けている」だけではなく、操作もしているし何かを考えている場合の方がほとんどなのでは?そうなると全ての動作を網羅しているわけではないような、、、。
そもそも「にらめっこした」という表現自体は良いと思うのだが、それで何かを説明するというのは、その場の雰囲気は伝わりつつもそこで感じた何かを無かったことにしてしまっているような、、。うーんそうでもないのかな。
出入り口
ぼーっとバスに乗っていたら、お店のドアに書かれた「出入り口」という言葉が目に飛び込んできた。ん?出入り口…?
音的にも聞き馴染みがあるので一見不自然には思わない言葉だがよく見てみよう。なんで「出る」という言葉が初めに来ているのだろうか。
何かから出るためには何かを入れないといけない。となると初めは「入」の漢字から言葉を成り立たせる方がわかりやすいのに、なぜ「出」からなのだろう。
「開閉ドア」も然り、「高低差」も然り、どちらも「初めから終わり」という考え方をするとしっくり来る言葉並びだが、「出入り口」だけしっくりこない。お主何者だ?
全く関係ないが、出入り口の「入」・開閉ドアの「開」・高低差の「高」は色でいうと赤色のイメージ。反対に「出」「閉」「低」は青色のイメージ。色で感じられるのなんでだろう。ふだん何気なく見てるボタンとか表示とかが案外その色をしているのかもしれない。
そういえばXで5色あるノートがどの教科だったのか..という投稿が話題になっていたが、算数は青、国語は赤、理科は緑、社会はオレンジ、英語は紫っていうイメージだな。ふしぎだね。