君の名はアーセナル -第1章「ラスト・ピース」-

 2021-22シーズンのアーセナルは、「5位」でプレミアリーグの最終節を終えた。この結果に関しては、人によって評価が分かれるところだと思う。開幕3連敗を喫して、早々にアルテタの解任論が叫ばれながらも、何とかチームを立て直したという点では良いシーズンだった。久しぶりにシーズンを通してCL争いに食い込んだという意味でも、「古豪」という二つ名を払拭し、チームが正しい方向へ向かい始めた雰囲気もあった。

 ただ、シーズン終盤に調子を落とし、CL出場権をあと一歩の所でトッテナムに搔っ攫われたのも事実である。CLを逃す直接的な要因となったのは、2022年4月のゲームでクリスタルパレス・ブライトン・サウサンプトンに3連敗を喫したことだが、それ以上に目立ったのはプレミアの強豪チーム、所謂「BIG6」に対する戦績が悪かったということだ。シティとリバプールにはシーズンダブルを喰らい、チェルシー・ユナイデッド・トッテナムに対しては1勝1敗で、総合成績は3勝7敗だった。昨シーズンのシティとリバプールに勝てないのは仕方ないとも言えるが、プレミアで優勝を目指す上では「7敗」という数字は致命的だろう。

 今季のアーセナルを見てから振り返れば、昨季はチームの「新陳代謝」が為されたシーズンだったと言える。オーバメヤン・ペペ・レノといった各々の理由で燻っていた選手たちを換え、ラムズデール・ホワイト・冨安など新加入の選手たちを起用したことで、チームは上昇気流に乗った。戦術的な意味でも変化はあったが、彼らは真面目でハングリーな選手たちであり、それがアルテタという若き指揮官のパーソナリティーにフィットしたことが何よりも重要だったと思う。ウーデゴール・サカ・マルティネッリ・スミスロウなども含め、若く確かな才能が織りなすフットボールは魅力的で、ガナーズの行く先は明るいと思わせるものだった。

 その中で、CL出場という最大の目標を逃した理由はどこにあったのだろうか。確実に言えるのは、「層の薄さ」が一つの要因として存在したということだ。殆どのポジションでレギュラーに代わる選手が存在せず、休めないから怪我やコンディション不良が増え、代わりの選手がいないからチームが弱体化するという悪循環に陥る。どんなビッグクラブでも替えの利かない選手はいるが、アーセナルはそのポジションが多すぎた。冨安の度重なる負傷が明らかにチームの不調に影響を及ぼしていたことは、日本人プレミアサポーターの記憶に新しい。2021-22シーズンのラインナップを見れば、CFとDFは特に層が薄かったと言える。ラカゼットは良い選手だが全盛期ほどの得点力は無く、エンケティアは「期待のルーキー」の域に留まっていた。バックスに関しては、レギュラークラスの実力・才能は申し分ないもののバックアッパーとして優秀な選手がおらず、一人が居なくなれば総崩れしそうな不安感を抱いていた。

 当然、アルテタもフロント陣もそんなことは分かっていたのだろう。アーセナルは2022-23シーズンを迎える前の移籍市場において、ガブリエウ・ジェズスとオレクサンドル・ジンチェンコを高額な移籍金を払ってシティから獲得し、マルセイユへローンに出していたウィリアム・サリバを復帰させた。今シーズンのアーセナルの戦いを振り返れば、結果的に彼らの獲得はこの上なく成功だったと言えるだろう。

 サリバは即座にプレミアの強度に適応し、対人・空中戦・カバーリングに優れた絶対的なDFとして守備の要になった。サリバとマガリャンイスのコンビが安定したことでホワイトのサイドバック起用が可能になり、冨安は全てのポジションをこなせる優秀なクローザーとなった(日本人としては複雑だけれども)。守備力には疑問符の付くジンチェンコを安定して起用できるのも、2枚のセンターバックが強力だからこそだろう。以前から復帰を望む声も多かったサリバだが、今季の活躍はグーナーの見る目が確かだったことを示している。

 そして、ジェズスとジンチェンコは昨季のアーセナルの弱点をストロングポイントに変え、ガナーズが現在進行形の強豪となる上で必要な「ラスト・ピース」と呼べる存在だったことを示した。二人に共通するのはペップ・シティの選手であったことと、確かな実力がありながらもペップの元で望ましいキャリアを送っていたとは言えないことだ。

 ジェズスは2017年にシティに獲得されてから、常にセルヒオ・アグエロという偉大なストライカーの後継者として期待されてきた。2019年からはストライカーの背番号「9」を背負い、2019-20シーズンを最後にアグエロがシティを去った際には、その期待は特に顕著なものになった。しかし、2021-22シーズンが始まるとスターティングメンバーのラインナップにジェズスの名は無く、フェラン・トーレスが偽9番として起用された。チームが好調を保っていたこともあり、その後もフィル・フォーデンやベルナルド・シルバが9番として起用される中で、ジェズスは途中出場が続いた。スタメンだとしても、殆どが右のウィングポジションでの起用だった。

 アグエロは何よりもボックス内での決定力に優れた、典型的な「ボックス・ストライカー」だ。その部分で比較すれば、ジェズスはアグエロに劣っていると言える。実際、ジェズスがセンターフォワードとして定着していた2019-20シーズンの成績を見ると、ジェズスは14得点(34試合)に対してアグエロは16得点(24試合)で、数字から見てもビッグクラブのセンターフォワードとしては物足りない。だからこそペップは偽9番を採用し、ジェズスの突破力を活かせるウィングで起用したのだろう。

 ジェズスの強みは「万能性」であり、それ故に「自由」を必要とする選手だ。ボックス内での得点だけでなく、サイドに流れての突破や中盤に降りてのプレイ、狭い局面での連携など全てを高水準でこなせるところに彼の魅力がある。ウィングとしてもジェズスは優秀だったし、2021-22シーズンもチームトップの8アシストを記録している。しかし、中央を基本にしてサイドに流れることと、予めサイドに立ってボールを受けることは全く異なる。特に昨シーズンのシティは、カンセロを高い位置に上がらせて左サイドで崩し、攻撃が詰まれば右に展開してウィングのアイソレーションというパターンが多かった。単純なサイドでの突破やスピードで言えばリヤド・マフレズやラヒーム・スターリングがいて、「ウィングでの」万能性や献身性で言えばフォーデンやシルバがいる。個々人の役割が明確なペップのフットボールにおいて、ジェズスは器用貧乏感が否めず、徐々に出場機会を減らしていった。

 ジンチェンコをシティが2016年に獲得した時、彼に対して懐疑的な見方をする人間も少なくなかった。それでも、PSVへのローンを経験してから2017年からシティに復帰し、シーズン途中から負傷離脱をしたバンジャマン・メンディの代役として中盤から左サイドバックにコンバートされたことで、一定の出場機会を得るようになった。ペップが採用する偽サイドバック的な配置において、必要とされる能力をジンチェンコは持っている。的確な立ち位置の判断やボールを失わないテクニック、そしてパスを散らした上で縦に差し込む技術など、レフティーであることも相まって、ペップの元で一定の役割を果たしていた。

 しかし、シティにおけるジンチェンコはあくまでもバックアッパーであり、十分な出場機会を得られているとは全くもって言えなかった。それは偏にシティの選手層の厚さが原因だ。そもそも中盤としては殆ど起用されず、新境地となったサイドバックには2019年にジョアン・カンセロが加わった。カンセロはサイドバックとしては「異彩」とも呼べるようなテクニックを持ち、ペップ・シティにおいて替えの利かない戦術の要として君臨した。左右のサイドバックに配置でき、正確なアーリークロス・センタリングを上げられ、中盤に入りハーフスペースを取って狭い局面で技術を発揮し、ウィングが中に入った時は高い位置を取ってサイドを突破することもできる。偽サイドバックという言葉に留まらない彼の役割は「カンセロ・ロール」と呼ばれ、それは呼び名の通り、彼にしかできない仕事だった。

 ジンチェンコの存在は、ペップ・シティにとって大きかったと思う。偽サイドバックとしてはメンディよりも遥かに優れていたし、2021-22シーズンにシティが劇的な優勝を決めた最終節のアストン・ヴィラ戦では、途中出場したジンチェンコが明らかに流れを変えていた。彼が居なければシティの2連覇は無かったかもしれない。ただ、ペップが当時に求めていたサイドバック像としてはカンセロが誰よりも相応しく、特に2021-22シーズンの中盤辺りから頻繁に採用された偽ウィング的な配置はカンセロありきのもので、特別に突破力が優れている訳では無いジンチェンコは難しかっただろうと思う。限られた出場機会でも確かな存在感を示してはいたが、ジェズス同様に本来の実力に見合った評価だとは言い難かった。

 ペップ・シティで燻っていた二人は、今季のアルテタ・アーセナルでその鬱憤を吹き飛ばす様なプレーぶりを見せつけている。アルテタの元で「自由」を与えられたジェズスは、センターフォワードとして開幕直後から得点を重ねた。一時は得点ペースが落ちたものの、サイドに流れての突破やインサイドハーフ・ウィングとの連携、そして中盤に降りてボールを前進させる部分でも常に違いを生み出し、「器用貧乏」ではなくワールドクラスの「オールラウンド・ストライカー」の領域へと足を踏み入れた。怪我で離脱した期間もあったが、復帰後は3試合連続でゴールネットを揺らし、プレミア首位チームの攻撃を牽引している。ジンチェンコは偽サイドバックとして、アルテタのフットボールに欠かせないパーツとなった。中盤化してビルドアップに関わり、攻撃を組み立てながら縦パスでスイッチを入れ、ハーフコートのオフェンスではマルティネッリやジャカ、ジェズスと連携しながら狭い局面を崩し、サイドやポケットから正確な折り返しを提供している。ジンチェンコが中盤化できるからこそジャカとウーデゴールが高い位置を取れるし、その分強度のあるハイプレスが実現できる。また怪我がちなトーマスの負担を減らすという意味でもジンチェンコの存在は大きく、彼が居なければアーセナルのフットボールは別物になるだろう。

 そして彼らの活躍ぶりからは、プレーできる喜びとアルテタへの信頼が感じられる。そもそもアルテタはペップの元でのコーチ経験が長く、戦術的な意味でもパーソナリティー的な意味でもジェズス・ジンチェンコとの信頼関係はあった筈だし、だからこそ獲得をしたのだろう。それでもそんな前提条件以上に、今季の二人からは主力として望むようなプレーができることに対するモチベーションとハングリーさが溢れている。そしてそれは、才能と野心に溢れた若き指揮官と選手たちが作り出す現在のアーセナルというチームに合致する要素であり、能力と相まって彼らを「ラスト・ピース」と呼ぶに相応しいものだった。

 昨シーズンは確かな強さと伸びしろを見せながら不完全燃焼に終わったチームに、実力がありながら燻っていた選手たちと武者修行を終えた才能の原石が加わり、チームの欠けていた部分を「ラスト・ピース」として埋めたことで、2022-23シーズンのアーセナルはプレミア首位を走っている。これはプレミアリーグという「物語」の展開としては十二分に魅力的なもので、今季のアーセナルが「主人公」たる所以とも言えるだろう。

                  第1章「ラストピース」 村井 悠

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