②/④『国境のない生き方 私をつくった本と旅』

②/④ヤマザキマリ氏著『国境のない生き方 私をつくった本と旅』読了。



全4回に分けて感想をシェアしたいと思います。今回はその2回目です。目次は以下の通りです。


教養とは

前回は、教養という言葉を多用しましたが、そもそも教養とは何なのでしょうか。今回はヤマザキマリ氏、私の考える教養を併記したいと思います。


ヤマザキマリ氏による教養の解釈

いくら知識があっても、うんちくを語るだけではだめで、そこから縦横に発想を広げていくことができる力(中略)を本物の教養という

国境のない生き方 私をつくった本と旅

そして、過去の偉人が抱いていたであろう教養観をこう評します。

彼らにとって教養っていうのは、(中略)、現実を生きるための具体的な力、進むべき道を切り開くための飛び道具みたいなところがある。知識をそこまで鍛え上げるには、やっぱり、自分ひとりで抱え込んでいたのではだめで、常にアウトプットして、人とコミュニケーションすることが必要。これは私もイタリアで痛感したことですが、教養を高めるといっても「自分はたくさん本を読んだからいいわ」という話ではないんですね。見て読んで知ったら、今度はそれを言葉に転換していく。

国境のない生き方 私をつくった本と旅

なるほど。過去の人とっては教養は生きる力であり、それは知識を言語化してアウトプットして初めて得られるものということですね。最後に、こうも言っています。

知識も教養も、人と人がそうやって限りなく近づくための、寛容性を鍛えるためにあるのだということだったのです。

国境のない生き方 私をつくった本と旅

つまり、教養は寛容性を鍛えるツール。ゴールは寛容性なんですね。


私なりの教養の解釈


私は教養には2つの側面があると思っています。1つ目が「別々のものをつなげる力」、2つ目が「様々な観点からものが見られる力、意見が言える力」です。1つ目の例としは、地政学と経済を挙げます。


中野剛志氏著『変異する資本主義』


資本主義経済下では、自由放任に任せると株主への配当を最大化させる金融化(株主資本主義)という現象が起こります。株主への配当を最大化させるため、経営者は主に人件費を削り、株主や経営者と労働者の間での格差が広がっていきます。しかし、その格差が急激に縮まったことが過去2回ありました。それが、二つの大戦です。大戦は総力戦と呼ばれ、戦地の兵隊だけの力だけでなく、本国の工場などでの生産能力が勝敗を分ける鍵となりました。そうなると労働者の力は不可欠なものとなります。この労働者の戦争への貢献とナショナリズムが相まって、戦争期は格差が縮まりました。しかし、WW2後は、大国が核兵器を持つことになったため総力戦ができなくなり、またもや金融化が進み、格差も拡大していきました。このように経済と安全保障という別の分野を関連付ける力が、教養の1つ目の側面となります。


2つ目の側面の例は、選択的夫婦別姓の賛否に見られる観点の違いを挙げます。


中島岳志氏著『自分ことの政治学』


現在の制度では、夫か妻のどちらかの名字に統一をしなければなりません。しかし、選択的夫婦別姓が実現されれば、選択的なので、片方に統一したければすればいいし、したくないならしなくていいということになります。これを、リベラルと保守の観点から見てみましょう。リベラルは個人の自由を大切にするので、個人の選択を尊重する選択的夫婦別姓に賛成となります。一方、保守は人間の理性よりも歴史の風雪に耐えてきた伝統や慣習などに人間の叡智を見出し、大切にしていくという特徴があります。現在の夫婦同姓は、古くから根付いてきた文化や慣習です。保守の考え方からするとそこに変更を加えるのにはかなり慎重にならなければならないということになります。どうでしょうか、夫婦別姓についても少なくとも二つの見方ができます。このように一方向からだけではなく、様々な方向から物事を見られる力が教養だと思います。


いかがでしたか。教養のある人に憧れを抱く人は多いですが、何が教養なのか考えたことある人は少ないんじゃないでしょうか。これを機に自分なりの教養の定義を考えてみてください。教養を身につけるためには、やっぱり読書は不可欠です。十分条件ではありませんが、必要条件です。ぜひ、様々なジャンルのたくさんの本を読んじゃいましょう!


今回はここまで。


以上

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