②/②『地球、この複雑なる惑星に暮らすこと』

②/②『地球、この複雑なる惑星に暮らすこと』読了。



今回も前回に引き続き、養老孟司さんとヤマザキマリさんとの対談本『地球、この複雑なる惑星に暮らすこと』の感想をシェアします。

今回は印象に残っている3点を紹介します。
目次は以下の通りです。


日本語は曖昧な言語


日本語とイタリア語と英語を操るヤマザキマリさん、日本語と英語を操る養老孟司さんから見て、日本語が曖昧で、欧米語が客観的だと言う話題もあがりました。これに関しては、『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』、『ケジメのない日本語』と重なる部分が多いなと思いました。日本語の曖昧さや、日本語らしさってなに?と疑問に思う方、興味ある方はぜひ。


『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』


『ケジメのない日本語』


道を極めるには

この本の中で思わず、「深っ!!」と唸ってしまった部分です。なにか道を極めるには、その道一筋に鍛錬を重ねないといけないイメージがありますが、この本ではそうでなく、様々な分野に敢えて触れなければならないと言及してました。そのエピソードで、かつて赤塚不二夫さんが手塚治虫さんに一流の漫画を描きたいが何をすればいいかと尋ねたところ、手塚治虫さんは、「いい映画観ていい音楽聴いて、いい小説を読むこと。漫画から漫画を学ぶな。」と返されたようです。実に深いなと思いました。確かに、一流と呼ばれる人って、周辺分野だったり隣接学問に詳しかったりしますよね。自分自身も食わず嫌いせずいろんな分野のものに触れてみたいなと思います。


死刑制度と安楽死制度について

ここは、非常に考えさせられました。ここの議論でハッとさせられたのは、死ぬ人の視点ではなく、殺す人の視点で考えさせられたことでした。死刑制度も安楽死制度も、誰かが死ぬということは反対に誰かが殺してるというわけで、その殺す側の人たちの中に「自分が殺したんだ」という記憶が積み上がっていき、苦しくならないのかという観点を養老孟司さんは提示します。実際に、安楽死をさせる医師に、十年後に再会したら、合法的にとはいえ人を殺すということに耐えられず、安楽死専門医を辞めてしまったそうです。また、死刑制度については、犯罪抑止の観点でも議論がなされました。そのなかで、死刑制度があることによって、死にたい人がわざと死刑になるように無差別殺人を犯すなどの例を取り上げ、むしろ逆効果なのではないかと思える事例もありました。難しい問題ですね。そういう人にこそ安楽死制度は有効なのではと思ったり、でも、執行する側に立てばやはりあってはならないと思ったりします。こういう生命倫理に関することは、きれいに結論は出ないですね。


ということで、今回は『地球、この複雑なる惑星に暮らすこと』を取り上げました。気になる方はぜひ読んでみてください。


以上

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