亡くなった飼い猫がもう生まれ変わっている可能性
部屋でユーチューブを見ていたらふと、天井のクモに目が留まりました。
そういえばこのクモ、今朝も見たな……
何なら、昨日の夜もいたな…
こんなにずっと私の部屋の天井から動かないなんて、死んだ飼い猫の生まれ変わりなのかな…………
って考えたのがこの記事を書こうと思ったきっかけです。
昨年、10歳だった実家の飼い猫を亡くしました。
小学生の時に生後3カ月くらいで家にやってきて、最初はふにゃふにゃの子猫だったのにあっという間に貫禄あるでっぷりした姿になりました。
小学生の私からしたら、猫は「何かを可愛がりたい欲」を発散(?)するのにうってつけで、「自分がこの子を何からも守るんだ!」という強い庇護欲がありました。観察日記をつけてみたり、ごっこ遊びに登場させてみたり、たくさん一緒に遊びました。
びびりで、神経質で、始めは人間に近寄りもしてくれなかったのにある日膝の近くで寝てくれて、次は膝で寝てくれて、いつの間にか私のベットの上で寝ている光景が当たり前になりました。
家族からはいろんなニックネームで呼ばれ、リビングに登場すれば無意識にみんなが撫で、可愛がられていました。
中学生になると、明け方にニャーニャー鳴く時期があり、鳴き声で目が覚めたときは、睡眠欲を優先させる家族を横目に猫に寄り添って撫で続けていました。猫の唯一の理解者きどりでした。
二匹目がうちに来たときには、先住猫なんだからどっしりしていればいいのに「あ、今緊張してるな」と外から分かる動きをしていて本当に人間みたいでした。
高校生の頃には家から脱走する事件もありました。死ぬ気で探していたところ、近所の倉庫の下の狭い隙間で暗闇に光る二つの目を発見し、すがる思いで名前を呼んだのを覚えています。普段名前を呼んで来てくれたことなんてないのに「ニャー..」と、か細い声を挙げながら恐る恐る近寄ってきたので、ガッと抱き上げ、救出しました。やっぱり、この子を助けられるのは私だけだ。何があっても守ってあげるからね、と誇らしく思っていました。
ところが、大学生になり、家を離れてすぐ、病気であっという間に亡くなってしまいました。文字で死を知らされました。
まっったく実感が湧かなかった。ゆえに、泣いたりできなかったんです。
え。私たちの10年間、こんなにあっさり終わってしまうの?飼い猫が死んでも、私は当たり前に大学生活を繰り返すだけだし、来週から期末テストだし。ペットが亡くなったら、もっとどん底みたいに悲しいものなんじゃないの?どちらかというと、もう苦しんでいないことに安堵の気持ちも強い。自分は薄情なのかな。ショックを和らげる防衛本能のようなものが働いているのかな。というのが、当時の正直な感想でした。
写真フォルダを開けば当たり前にのんきな顔をした猫がいる。
毎日会える場所にいたわけではない自分からしたら、飼い猫との会い方は写真フォルダを開くことなので、生きていても亡くなっていても変わらない。
当時はなんとも言えない複雑な気持ちでした。しかし、実家に帰ってもどこにもいない、など実感をしっかりと感じたことで徐々に現実なんだな、と受けとめ、同時にしっかり悲しさを感じきることができました。
そして最近よく考えていることがあります。
今、ひとりなのかな。寂しくないかな。転生してるのかな。幸せかな。
誰かに守ってもらえているのかな。
亡くなってしまったことは悲しいけれど、自分にとって死は通過点のようなものに感じられます。そこで終わりじゃなくて、時間経過の一つ。死について思いを馳せているというよりも、死から経過して飼い猫(の魂?)は今どんな状態なんだろう。どんなメカニズムでもどこにいてもいいから大切に扱われていてほしいんです。
そんなわけで虫ですら粗末にできません。万が一でも、飼い猫の生まれ変わりなら、この世で一番大切に扱いたい。