
【ブルーピリオド】橋田悠について語りたい
美術系スポコン漫画『ブルーピリオド』。
人生の20数年大半を片田舎で美術に費やしてきた私が読んでも、とても面白い作品です。
大学編に入るまでは毎巻号泣して苦しみながら読みました。
絵を描くことが好きな人にとっては色んな意味で刺さる作品ではないのでしょうか。
そんな素敵な漫画の中でも特に推しである橋田悠について語ろうと思います。
おさげはマジメの証
飄々とした出で立ち。そして関西弁。オサゲ。とてもマジメには見えません。
でも実際マジメだからすきです。
人が作った作品が好きと言い各年代の美術史や美術館を網羅しながら作品を作り、多摩美と藝大の二次選考まで残る実力。
知識をしっかり作品に活かしてるマジメタイプです。
でも、予備校で知識が先行して頭でっかちになってるって言われてたり。まだまだ未熟な部分もあるみたいです。
そして顔が広い。
さらに家では妹に美術史すら教えている優しいお兄ちゃん。
最高じゃないですか。
オサゲの向こう側
そんなマジメで人当たりのいいオサゲにも闇があるはず。と思ってしまうのは私だけでしょうか…。
絵は自分の中にエゴを持っていないとたくさんは描けないと思っています。
自分で0を1にする作業ってただ好きなだけじゃ無理なんですよ。
訴えたい伝えたいものがあるからこそ表現できるものです。
その中で作品を鑑賞する側として登場することが多いのが彼です。
世田介は孤独を、マキちゃんは自分の道を行くことの難しさを、ユカちゃんは人と違う自分を。等それぞれ葛藤していることがあると思っています。
解釈違いだったらすみません。
じゃあ橋田悠は……?となると
私が思うに絵の外に居たいんだと思います。
誰かの人生、誰かの絵を鑑賞する側として見ていたい。
モデルとか主人公とかには、なりたくないんじゃないかな。
何というんでしょうか。
八虎が「人が溺れている時、救命具を持ってくるだけで一緒に溺れてはくれない」と言われていましたが、
橋田は「溺れている人を遠くから見ている人」に感じます。
こんなことを言うと「彼はそんな非道な人じゃない!」と怒られそうです。
真横で人が溺れたら助けるでしょうが、これがもし遠くだったり周りに八虎のような進んで助ける人がいたら?
多分駆け寄ったり手伝いはしますがそれは進んで助ける人がいるから。
どこか他人事の用に感じると思います。
そのあとの病院とかではいつも通り慰めてくれそう。(何の話)
特に11巻の絵画教室の話がそれです。
心が壊れかけた小枝ちゃんの絵を分析して観た時、共感や心配よりも先に興味深いという単語が出てきたり。
本人も心当たりがあるのか「見てるだけや」なんて言ったり。
そしてついに小枝ちゃんの心が壊れてしまった時の衝撃。
多分この時見ることしか出来ない自分を呪ったでしょうね。
その後、気分転換にと小枝ちゃんを合作に誘った橋田は「本当は絵を描くのが苦手」と自分の心情を語ります。
この一連の流れがまさに彼にとって新しい自分へ踏み出した第1歩だと思います。
でも最初の挑戦なんか大体上手くいきません。
結局小枝ちゃんは絵画教室も辞めて、橋田は「先生にも向いてないわ」と一言。
いや辛すぎる。
橋田は人と仲良くなって、自分が輪の中に入って感動したり心を動かされることが苦手なような気がします。
だから鑑賞という1歩引いた場所にいる。
決して人の心がないとか思いやりがないという訳ではなく、むしろ共感性が高すぎるが故に自分の心を守る手段として距離を置いているのではないでしょうか。(考察)
次の橋田回が楽しみです。
最後に
今回は私の好きな漫画『ブルーピリオド』に出てくる橋田悠について語ってみました。
これから彼が八虎と絆を深める中でどのように変化して行くか楽しみです。
彼の見た目も好きですが、知識を入れすぎて頭でっかちになっちゃったり、広く浅い人間関係しか築いてない感じが自分と似ているなと感じました。
私も人と深く仲良くなるのが苦手な人種なので、特に11巻の絵画教室のお話はボロボロ泣きながら読みました。
まだ読んでない方には是非オススメしたい作品です。
推しについて考えるのは楽しいのでまた語りたいと思います。
読んでいただきありがとうございました😊