
うつを振り返る
うつ年表
小・中・高校:ほぼ皆勤賞、運動部所属、忙しい方が調子いいタイプ
大学3年春:うつ病と診断を受ける
大学3年秋:大学退学、半年の療養を経て、別大学へ再入学
初期症状
コンビニをうろうろ、決断力の低下
コンビニに入って端から端まで棚を眺める。
何食べよう。
甘いものは気分じゃないし、しょっぱいものも違うし。
決まらない。
お菓子の棚。
色がいっぱい目に入る。
何食べたい気分だろう。
やばい頭が働かない。
ぐるぐる見て回って、冷蔵の棚まできたら、電気の振動?で急な吐き気。
水分だけでも…ミネラルウォーターも種類があるな。
そこでもひと悩み。
人の邪魔にならぬよう、生活用品の棚の前へ避難。
何が食べたいのか。
歯磨き粉の前で考えていることに、また吐き気。
何かを食べる想像をしても吐き気、胸焼け。
とにかく、決まらないのだ。
何しにコンビニに入ったのか、かろうじてそれだけは手放さないようにして2、30分フラフラ周回している。
結局、吐き気を抑えるために、ソルマックと水。空腹時の保険に、inゼリーを買って出た。
アドバイス:こういう時は羊羹を買うといい。コンパクトで、フラフラになってからでも簡単に食べれて、エネルギーを摂れる。
勉強の計画が立てられない、頭の中が霧
「頭の中に霧やモヤがかかったように、ぼんやりとしてしまい、考えることや集中することが難しい状態」をブレインフォグ症状というらしい。
「頭の中が霧」という表現が本当にぴったりなんだよなーと今となれば
感動さえ覚える。
コンビニの話と似ているけれど、「何しよう」という段階で全てが止まってしまって、永遠にボーっとしてしまうのだ。
計画は、項目を挙げて、それを空いた時間に割り振るとか、工程があるが、
「やらないと!」なことが一つ二つ浮かんだら、
それが膨張して、脳の容量を大幅に食う。
そして焦りの感覚だけ増していく。
ここで思考が停止。
何一つ、手がつかないで平気で一日というものが終わる。
体が動かないのは金縛り?
寝っ転がって、頭を休める。
ずっと一つ、二つのことができないまま。
再び起きあがろうとすると、体に重たいものが乗っかっているかのように
頭が枕から浮かない。
足が重たくて、とにかく体が重たくて、足を曲げるのも向きを変えるのも簡単には出来ない。
そんな時、考えていたことは、
心ってどこにあるのだろうといったこと。
起き上がりたい私の心と、動かない体。
体が完全に自分のコントロール下にないのだ。
それから
起き上がれなくて1日空の色の変化を見て過ごしていることは
そんなに悪いのかな?と。
責める自分と慰める自分が交互に耳もとでささやく。
空の色が刻々と変わるのが美しく思えて、人の心はあるんだと少し安心していたような気もする。
初期症状まとめ
お風呂に入ることができなくなり、朝の用意にパニくる。
待ち合わせに遅れるようになり、次の約束をやめる。
自分だけのことが後回しになり、周りと共同の課題で精一杯になる。
振り返ると周りにバレないようにすることで精一杯だったが、確実
に生活に支障をきたすようになっていった。
通院期
プラットフォーム、歩道橋、ベランダの恐怖で診察を決意
ある日、駅で電車を待とうとしていたら、自分が飛び込む感覚がフラッシュのように一瞬入ってきた。やけにリアルな想像で鳥肌が立った。
プラットホームを移動する時、足がすくむようになった。
高所恐怖症でもないのに、足がすくむ。
それからというもの、想像や衝動的な動作は自分のコントロール下にないので避けられないと思い、自分自身で防げる自信がなくなった。
それが精神の病の何より怖いところだと思う。
死にたくない。死への恐怖は人生で一番感じた。
それでも飛び込む映像がよぎるので、下を覗ける位置に立たないことで物理的に抵抗した。
歩道橋、ベランダと油断すると町中に下に吸い込まれそうな場所があった。
自分が怖くて、このままだと死ぬと思い、心療内科へ行くことにした。
「予約なし」の病院はまさに駆け込み寺
朝の支度が進まなくて、朝からの用事を初めて夕方にやっと出かけられるなんてことが頻繁になっていた。
明日まず、病院を調べよう。
意外といっぱいあってどこがいいか決まらない。
いっぱい頭が空っぽのまま動いてヘトヘトになる。
次の日、診察を受ける日を考えよう。
それができたら、1日休んで
やっぱり一週間休んで
診察を受ける日を変えよう。
次の日、予約すると準備しないといけないことを考えたら
吐きそうになって。
とりあえず寝る。
そんな調子。でも怖くて。治したくて。
ある日、予約なしの病院を見つけた。
そこから一週間、いけそうな日に準備して、トライして3日目にサクッと家から出られた日が来たので、診察を無事受けた。
家から帰って、まず、泣いた。
病院に行けたこと。
予約なしのスタイルに感謝して泣いた。
人の優しさに敏感で、過剰で。
この時期の涙は、全部親切な出来事に対しての感謝で嬉し泣きが多かった。
頭が空っぽのまま回って止まらない、体力の大消費
診察の結果、うつだった。
双極ではなく、ひたすらにうつだった。
自分でもこの時「双極性」というものを初めて知ったが当てはまらない気がした。
ただ、薬は双極性と同じものにして様子を見ようと言われた。
「抗うつ」の薬は気力をつけてくれるが、それだとかえってその気力で自殺してしまう恐れがあるとのこと。
お医者さんに、今の自分は自殺する元気もないから、ある意味安心して怖がらなくて大丈夫と言われた。なんだか、本当に何もできない心と体なんだと思ったら笑えてきた。
副作用には「寝る」が最強
「副作用」ってそんなにきついものだと思ってなかった。
完全になめていた。
普通の状態でも、風邪ひいたり、具合が悪いとやる気は下がるだろう。
ここは普通に、シンプルに、それと同じ状態だった。
うつ病だからというよりは、強力な眠気と吐き気と、頭痛で気分が下がった。そして寝たきりになった。
精神病は厄介なものだと思う。それは自覚した上で…
だけど、冷静にこういう普通と同じような感覚で気分が下がるというか、モチベが下がることもある。そういう時は、あんまり特別視せずに「今日体調悪いな、普通に」と思ったりしていいと思う。結構、うつ病だからという自分が作り出すものも呪縛?になりえてしまうだろうし。
それは、周りの人や支える家族も。
治したいと強い気持ちを持って、2週間分の薬を予定通り飲み切った。
そして、新たに薬をもらいに行けず、たくさん泣いた。
薬を飲んでいないから、気分が下がるかなと思ったが、もはや効果があったのかよくわからず。治すための方法を無心に調べていた。
もちろん、体験談を綴ったnoteもたくさん漁った。
当時すごく参考になったり、共感したり。すごく心強かった。
うつ抜け初期
漢方という光
「漢方」を処方してもらって良くなったという情報はそこそこ目にしていて、私もこれまでの薬とも違うし、試して見ようと思えた。
たくさん寝たのと、出かける準備のルーティーンを変えたり、この身体の操り方にも慣れてきて、予約制の病院を予約した。
漢方を試したいと相談し、私の場合は、加味帰脾湯(かみきひとう)を処方された。
なくなった症状たちと出来るようになったこと
まず、副作用がそれまでの薬より少なくて、快適に過ごせた。
今日は〇〇の気分というものが戻ってきた。
今日は動画見て過ごしたいなとか、あったかいものた食べたいなとか。
これは本当に嬉しかった。今までどこに行っていたのか、とにかく戻ってきてくれて、そのおかげで色々決めることができた。
どう過ごすか自分で方針を立てて、それを実行する。
自信がついた。出来るじゃん、自分!と。
うつ抜け3年目
出来ること、できないこと
今は、日常生活に「うつ」を意識することは無くなった。
薬も通院もしていない。
約束して時間通り準備して出かけることもできる。
ネイルも美容院も旅行も行ける。
アルバイトもできる。
大学はうつの時の判断で一度完全に退学したため、入り直した。
今は就活と大学とバイトの生活。
できないことは、なんとなくだが、暗記力が落ちたかなと。
頭に霧まではいかないけれど、ちょっと情報が入りづらくなって、文系の私としては、自分の自慢の暗記力が落ちて戸惑うところだけど、もう受験もないわけだし、まあ許容範囲かなと。
あとは、お風呂。
お風呂は初期症状で、入るのが億劫になったもので、今も引きずってはいる。入りたくない理由は、億劫なだけではない。
自分のことを汚れていると思ってしまって、実家暮らしなので、自分が最後に入らないと気が済まなくなった。次の人に、汚いと感じさせたくないのだ。ちょっとここは精神的な感じまだあるのかな。
さいごに
漢方を処方してくれた先生が、そのカウンセリング時にかけてくれた言葉を紹介しようと思う。
今まで通りに生活できるようになりたいという私に
今まで通りを目指すのが正解ではないかもしれないよ。だって、そうしてきたから「うつ」になったんだし。今まで通りに治すという目標も変えてみたら。
この言葉は、「うつ」を日頃意識する必要がなくなってから、「頑張りすぎない」の代わりのような感じで心で唱えるような大切な言葉になりました。
自分はうつを経験したからこそ、今がある。
うつになる前とスケジュール感は大きく変わってないが、今の方が自分を大事にしているのできつくない。
自分の価値観という、そう滅多に変わらないようなことが変わるきっかけになった。まあ、滅多なことを経験してしまったんだけれど。
終わり