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苦悩・オブ・禁じられた欲求

お元気ですか。加害する性です。
便器に突っ伏して呻いてる人を見かけたら背中をさするでなく「何が好きだっていいじゃん。自分らしく生きていこう!」と言葉をかけています。
きれいに反吐出してくれますよ。ああ、カクテルライトで吐瀉に虹がかかっていますね。

そんな捻くれたこと言いつつ、多様性やポリコレを重視する社会を私は尊重しています。
今日は、多様性からこぼれた、文字通り掬われ(救われ)なかった人達の苦悩について考えていることを聞いてください。

私の考えは単なる思考の一つでしかなく、意思や温度、メッセージを含むものではありません。


ロリコンで一括りに首縊りされる小児性愛者

ステキに恋してケッコンして、子どもを授かることが犯罪である世界を想像してみよう。
ああ待って待って。もう少し聞いて。極論を持ち出して小児性愛を擁護しようとしてる訳じゃないんだ。

自由恋愛の素晴らしさだとか婚姻制度の正当性だとか生殖がヒトのヒトたるゆえんだとか、そういうのも一度飲み込んで。
わかった、あっち行ってまくし立ててもいいから、満足したら戻ってきてください。

もう、搾取だとか消費の話もいいから!

要は、食べること、眠ることが禁止されたら辛いと思うんです。
性欲だって三大欲求だ。小児性愛者にとって性欲の発露が禁止されたら、当人にとっては辛いさ。
「成年に欲情すりゃ済む話だ」とか、「欲情すること自体は自由だ」というのは、現実に即しているとは言い難い。
体質起因の菜食主義者に「肉食えばいいのに」とは言わないし、元薬物乱用者に「注射器の針を静脈上の皮膚にあてがうのは自由だ」とも言わないだろう。
正論かもしれないが何の解決にもならないからだ。

性欲じゃなくて支配欲だって?ああ、そうかもね。

別に小児性愛に限った話でもない

「行為を厳密に禁じられているもの」、「行為への渇望自体が事実上禁じられているもの」は、小児性愛に限った話でもないですね。

あと、本当に擁護したい訳じゃない。辛さに色はないし、辛さに寄り添うのは非生産的って訳でもないよな、って思うだけなんです。

「行為」や「欲求」そのものをアリかナシかで論じるのも、物足りないというか、寂しい。
「よく考えてみたけど、人や社会を傷つけるのでナシです!」っていう結論ありきになりがちだから。

許容できない外れ値と、緩和ケア

どうしても「普通の社会」あるいは「あなた」に許容できない因子があるのかもしれない。

許容できないものを叩いても仕方ない。
「最終処分」を考えるのが、大人の、社会の責任の取り方かもしれません。

うーん、これ以上何も書けない。だめだ。
寛容のパラドックスとの付き合い方とかも書きたかったけど、全然頭が整理されてない。
気が向いたら出直します。

ともかく、今年も一年お疲れなまでした。
皿洗おうー

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