小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第80話

3月20日 水曜日 春分の日

朝から暴風警報が出ていた。
体育館の中に雨と風の音が響いていた。
今日は地震保険の査定の人がくることになっていた。
こんな天気で来るのかなと夫と話した。
豆乳、紅茶、バナナチップ、自然薯チップスを食べた。
朝は少しのんびりとしてから家に移動した。
台所でちょっと断捨離をして、この前ニュースで出ていた喫茶店に夫と行った。このお店の店員さんは私と夫の共通の知り合いだ。
カウンターに座り、ニュースで見てきたよと言うと、とても喜んでくれた。
朝ごはんからあまり時間があいてないので、飲みものだけを注文した。
私はホットココアを、夫はホットカフェオレをたのんだ。
二人ともいつもと同じだ。夏になると、私はレモンスカッシュかクリームソーダ、夫はアイスコーヒーかクリームソーダになる。
家がどうだったかと聞かれ、家は大丈夫だが今も避難所にいて、もうすぐ帰る予定だと言った。
探し猫のポスターが貼ってあった。夫が見ていると、その猫のことを教えてくれた。地震の時に家からでていって、その後火事になったので家がわからないのではということだった。
飼い主も猫もかわいそうなことだ。見つかるといいのだけれど。
飲み物が運ばれてきて、喫茶店がどうだったかを聞いた。
グラスなどは全部割れ、引き出しにも破片が入っていて片付けるのが大変だった、グラスはまた買いそろえたと言った。
割れたのを片付けるのは大変やったろうね、と話した。
棚に並んでいるガラス製品やカップは、以前より少し少ないように見えた。
ココアは温かくて甘くて、今の私にはとても贅沢だった。
少し人が増えてきて、飲み物だけで長居するのも悪いので、帰ることにした。
常連さんが多い店で、みんな再開を喜んでいた。

家に戻ってまた片付けをしていたら、昼ご飯を準備してなかったことに気づき、荒れた天気の中コンビニに向かった。
精進することができずにカルボナーラを食べた。
夫はざるそばと納豆巻きだった。精進しようと思ったわけではないのに、結果的に精進料理になっていた。
私はこの寒い中にざるそばは食べられない。

1時に地震保険の査定の人がきた。
保険会社から委託された建築士の人が2人だった。
天井の4つの角(入隅)をチェックするという説明を受けた。
それから一緒に家の中をみてまわった。よく見ると洗面所と和室にひび割れがあった。
傾きもみてくれた。レーザーの水平器を使い、スケールで測った。
0.5までは範囲内ということで、少し傾きはあるものの、大丈夫ということだった。
その後、外に移動して基礎部分を見てくれた。
ひび割れが2ヶ所あり、以前の地震で起きたと思われる古いひび割れが2ヶ所あった。外でも傾きを見てくれた。雨はやんでいたが、風が強くて傾きを測るのが大変そうだった。
温かいお茶を出そうと電気ポットにお湯を準備した。
割れ残った九谷焼の湯飲みにお茶を入れ、お菓子も出してみた。
片付いていない狭い部屋に4人で座った。
破損部分が全体の8%という計算になり、一部損壊となった。傾きが心配だったので、住み続けられるという結果にほっとした。
これから金沢まで帰らないといけないという。車は他の人と乗り合わせてきているそうだ。往復だけで時間がかかって、査定も進まないだろう。
出したお菓子は手を付けられず、スポーツ飲料も渡したが断られた。帰ったころには2時間たっていた。
夫とお茶を飲んでお菓子を食べてネットを見たりしてすごした。

6時に避難所に戻り、ご飯の配布が終わっていたので、本部にいってご飯をもらった。
ご飯、とろみのついたピリ辛根菜スープ、いちごだった。
今日は男の人がよそってくれた。
唐辛子の辛さが美味しかった。

母がティアラちゃんの飼い主さんと話していた。私の祖母とティアラちゃんの家のおばあちゃんが知り合いだったそうだ。年も1歳しか違わないらしい。
そのおばあちゃんは今、福祉施設に入っているのだそうだ。
もともと元日は病院に入院しており、退院後、家には戻れないので
急遽施設に入ったということだった。
入院していてある意味助かった、そうでなければ、どうしようもできなくて手詰まりになるところだったとMさんは言った。
ただショートステイの施設しか入ることができず、2週間で5万もかかるそうだ。特養ホームに申込んでいて、4月1日からそこに移る予定だといっていた。
ティアラちゃんの家は全壊なので、仮設住宅に入れるまではずっと避難所にいるという。早く入れるといいですね、ティアラちゃんもそのほうが落ち着くだろうし、と言った。ティアラちゃんは今日も私の手を熱心になめた。

両親のために買ってきたお茶などをランチルームに持っていった。
まだ8時すぎだったが、二人とも疲れて寝ていた。
後で起きて電話があった。
9時半にトイレに行って寝ようとしたらお腹が痛くなった。
カイロを当てるが良くならずトイレにいった。
硬い便がでたが、痛みは治まらなかった。体育館には戻らず、玄関のテレビ前に座って様子を見ていた。テレビは消灯時間を過ぎているので、消してあった。
母もトイレにやってきたが、下痢ではないと言った。
私はその後も何度かトイレに入って全部出し切り、やっと痛みが治まった。地震前にもこのような腹痛は時々あったので、
原因は何かわからないが、大したことではないだろう。

今日も息子からは連絡がなかった。元気にしているようで何よりだ。
少し体が軽くなったようで、やはり少し寂しい。
カイロで体が温まってきた。カイロを布団のすみに避けて眠りについた。


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