小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第31話
1月31日
朝は昨日と同じおにぎりと味噌汁だという放送があった。
昨日と同じおにぎりと味噌汁は無理だ。
息子にはアルファ化米の白米にお湯をいれて準備し、ふりかけとインスタント味噌汁を渡した。
夫は買ってあったパン。私はバナナとスナック菓子の小袋と野菜ジュースにする。
トイレに行くと、お兄さんたちのおはようございます、おにぎりどうですかの声がしていた。
トイレと炊き出しの場所はななめ向かいになる。
配り始めてから30分以上たっているが、ずっと大きな声だ。
声の張り方が芸人さんっぽい。
私にも声をかけてきた。
おはようございますと返したが、あいさつを強要されているように感じた。
トイレカーはまだバケツで水を汲んで流さなくてはいけないが、慣れてきたので気にならなくなった。底の部分に集めるようにすると1度でしっかりと流れる。
外で手を洗っていると、近くで煙草を吸っていたおじいちゃんが
「なんちゅう元気な兄ちゃんらち(達)や。」と独り言のようにいうので
私も苦笑する。
残食入れの横を通った時に味噌汁を流している人をみた。塩辛いですよねと声をかけたかったが、ぐっとこらえた。
人の多い場所で悪口は禁物だ。
家に帰ろうとして玄関に出たとき、ちょうどおにぎりが配り終わったらしかった。
終わりましたーといって、盛り上がっていた。
美味しかったですと言っている女の人がいて、私は信じられなかった。
女の人の食べたものは芯がなくて、しょっぱくなかったのだろう、多分。
お兄さんたちは自撮りして動画を取っていた。
それはお決まりの締めの言葉らしく、慣れた感じで話していた。
YouTuberたちだったのだ。再生回数稼ぎ?
そのために、芯のあるおにぎりと辛すぎる味噌汁を食べさせられたのかと思うと腹がたった。
午前は家の片付けをしたが、事故のことと、朝の炊き出しのことで
あまり進まなかった。
昼の炊き出しはラーメンだった。
中部地方のナンバーだった。
マスクやエプロンなど、調理するための恰好は一切なく、話しながら作っていたのが不快だった。
こっちは避難所というクラスターが起きやすい環境で暮らしているのに
何も考えていないのではないだろうか。
ラーメンの好きな息子はお代わりをしていた。
息子はマスクは気にならないのだろう。
人によって、受け取り方は変わるのだ。
午後は義父母の家を片付けにいった。
まだ台所が片付かない。
床に落ちた料理雑誌や家計簿などは、ページの間に割れた破片が挟まっていないか振ってから棚に戻す。
振るだけで時間がかかる。
長年暮らしてくると、自然と物がたまってくる。
地震が起きてから、ミニマリストがうらやましいと何回思ったことだろう。
ミニマリストもそうなるための、きっかけが何かあったのだろうか。
疲れたので、早めに切り上げて、夫とドラッグストアに買い物に行った。
何も買いたいと思えなかった。夫はパンやおにぎりを買っていた。
会社から連絡があって、2月1日からするはずの仕事の予定が遅れていて
1日は午後から出社して片づけをしてほしいと言われた。
夜はカレーだが、ブロッコリーやシメジが入っているから夫は食べなかった。買ってきたおにぎりを食べていた。
夜の炊き出しを食べないつもりで買い物をしてきていたのだった。
息子はカレーをちゃんと食べていた。いつも息子の分は大盛りになっていた。
食べてくれるだけ、安心できた。
眠いと思いながらタブレットを見ていた。
K府の和食器屋さんにレトロ風なお茶碗があって、可愛いと思った。
この和食器屋さんは百貨店に入っていて、買い物をしたことがあった。
とてもきれいなグラスと和菓子用の小皿のセットだ。
今回の地震では箱に入れたままだったので、大丈夫だった。
でも、ネットでは利用したことがないし、今のような状況で初めてのところで買う気になれなかった。
W市で初めて応急仮設住宅が完成したというニュースを見た。
木でできていて、素敵に見える。
ただ、海の近くなので少し心配な気はする。
仮設住宅に入ることになった人のインタビューがあって、自分よりも大変な人がいるのに、自分が入っていいのかと思う、と言っていた。
どういった理由で選ばれるのかは、少し不透明だ。
玄関横には、対策本部に要望を書いて入れるポストが置いてある。
昼のマスクしない炊き出しについて書いて、夫に見せた。
『避難所では感染症が流行っているのだから、
マスクをしないのは大変心配に思う。
せめて、調理するときにはマスクをするように頼んでほしい。』
夫はいいんじゃない、といったので、出してきた。
要望は書いたが、今度からマスクをしない人のご飯は食べないで
自衛したらいいかもしれない。私はそれくらい、腹が立っていた。
ネットニュースで避難所ガチャという見出しのついたものがあった。
内容的には金沢で近いところに二つの避難所があるのだが、支援の内容に差があるというものだった。
SNSに避難所ガチャという言葉を使っている人がいたのを紹介しているだけで、その記事のインタビューを受けた人が使っているわけではなかった。
その記事の対して、いくつかのコメントがついていたが、一番いいねがついているコメントはそれについて批判的なものだった。
まとめると、避難所ガチャなんてぜいたくいうな、もらえるだけまし、
それが嫌なら避難所を出ろ、ということだった。
いいねが多いものは、どれもそれに近いものだった。
お前も避難所にきて、賞味期限切れのおにぎりを食べてから言え。
行くところがないから、避難所に来てるんだろ。
差がないほうがいいに決まっている。
避難所ガチャをさがしましたが、見つかりませんでしたよとか
なぜ差があるのか、考えさせられるといったようなコメントもあったが
いいねの差は桁が違っていた。
この時、私は気づいた。これは生活保護、ホームレス叩きの構造と同じだ。
税金で支援を受けると必ず、批判する人たちが出てくる。
どれも論調は同じだ。自助努力が足りない。
これに対して一番いいねがついていると言うことは、この国はそれが主流なのだ。
災害にあって困っている人に対して、想像力のかけらも持ち合わせていないのだ。
支援内容になぜ差ができてしまうのか、どうすれば差をなくせるのか、
考えていくことで社会を良くしていけるはずだ。
ただ叩くだけでは、何も変わらない。
私はもう、このニュースサイトを見ないことにした。
ネットニュースでこんなに嫌な気分になったことはなかった。
こんな気分でよく眠れるはずがなかった。
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