小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第38話

2月7日 水曜日

朝はコンビニパンとシチューだった。
今日は菓子パンだった。甘いものが段々嫌になってきていた。
シチューは量は少ないものの、小さな豚の角切り肉が入っていた。
私はもともと角切り肉があまり好きではない。
でも栄養はあるし、朝に温かいものが食べられるのは嬉しい。
肉は息子のところに移した。

段ボールベッドを置くために、部屋の荷物をまとめようと午前中を休みにする。
午後、段ボールベッドが来ることになっているので、いなくても大丈夫か本部に聞きに行った。
いなければ部屋の前に置いておくということだった。

部屋の中の黒いマットをずらして箒ではき、ついでに体育館の中も掃除する。
プールの先生ともう一人の人が手伝ってくれた。
もう一人の人は、書道の先生だということがわかった。

ショコラのところに行くと、膝の上に乗ってきたのでしばらく休む。
甘えん坊で可愛い。
テレビを見ていた飼い主のYさんはショコラによかったなあ、と言った。

しくしくとお腹が痛みだした。何が原因かわからない。トイレに2回行く。
ちょうど仕事が休みでよかった。
トイレに行くために家から往復していたら、仕事にならない。

昼は炊き出しで、ガスエビカレーと豚汁とお茶だった。
以前の人たちほどふざけている感じはしないが、マスクをしていない人が配っていた。
マスクをしてほしいという要望を書いたのは、通らなかったようだ。
マスクをするかどうかは、強制できないのかもしれない。
ガスエビカレーとはどんなのかと思ったら、ガスエビが殻ごと入っているカレーだった。甘いが本格的なスパイスの香りがする。
だとしても、生のガスエビを知っている人間なら、カレーに入れて欲しくないと思うはずだ。
刺身のガスエビを思い出し、悲しくなる。決して刺身のガスエビが食べたいわけではない。エビなしカレーでも全く問題ない。
悲しくなるのは、私が疲れているからなのだろうか。
いつか支援物資ではなく、ちゃんとお金を払って、刺身のガスエビを食べたい。

お腹が本格的に下痢になったので、午後も休むと会社に連絡する。
下痢で力が抜けて、うとうとしていると放送があり、段ボールベッドは教室から配置していくということだった。
誰かの携帯がなった。ショパンの『英雄』だった。
なぜ『英雄』がわかったかというと、辻井伸行さんの動画のこの曲がとてもよくて、地震の前に何回も聞いていたからだった。
ショパンの曲はあまり好きではないのだが、この曲は今のような状態で聞いてもいい曲だと思えた。

国立病院機構とO市の職員が大量の段ボール箱を持ってきた。
最初に一つ見本として組み立てられ、他の職員たちもそれにそって作っていく。
小さな段ボールの枠の中に、ななめに板をいれて強度を増し、それを大きな段ボール箱にいれる。それが8こ集まって一人分のベッドの大きさになる。
三つ折りになっていた長い段ボールを広げて上におけば完成だ。
必要なものがきっちり収まっていて、作った後は外箱のみ残るので、なかなか考えられている。
といっても、外箱もそこそこ大きいので、数がたくさんあると片付けるのは大変そうだ。
避難者は作業がないのだが、一番外のガムテープを取るのを手伝う。
ランチルームのおじさんが見に来ていた。おじさんによると、教室ではなく、体育館が一番早いそうだ。他のところまだ来てないよ、だから見に来たんやもん、と言った。
放送と現実が違うのはいつものことだが、どうしてそうなるのだろう。
他の人は黒いマットを片付けて床に直接段ボールベッドを置いていたが、私はマットの上に置く。
防音と防寒のためにはあった方がいいだろう。
ベッドが入るとパーティションの中には隙間がなくなった。

近くの部屋のMさんが教えてくれたが、今の部屋のスペースは本当なら
一人分で、場所が足りないため二人になっているそうだ。
そして、二つベッドを置いても隙間ができるはずだったのに、そうはなっていなかった。
入り口から直接ベッドに上ることになる。
下の8個のところには荷物を入れてもよいということなのだが、
三つ折りの段ボールと4個の段ボールでは長さが合わず、三つ折りを上げても、1個分の段ボールしか使えない。
上にふとんなどを乗せると出し入れはちょっと不便だ。
えらい先生が机の上で考えるから、こんなことになるんだなぁとMさんは言った。
いろいろと良く知っていて、なかなかインテリな感じがする。

父が体育館まで見に来た。
ランチルームは説明もなく置いていったので、自分たちで作ったのだと言った。
そして父は午前中、弟と一緒に支援物資をとりに行ったら、そこに牛丼チェーンの炊き出しをしていたそうだ。支援物資をもらったあと、二時間待って牛丼をもらい、寒くて風邪をひきそうだ、こっちですぐに温かいものを食べるほうが良かったと父は言った。
私も二時間は並びたくないが、こっちが良いとも言い切れない。

父は郵便局に行き、手紙も受け取ってきたそうだ。
とても簡単だったと言っていた。
郵便配達をしていないので、身分証明書を持って郵便局まで行くことになっている。
我が家もどこかで行かないといけない。

トイレに行ったあとにテレビを見ると、夕方のニュースをやっていた。
女の子がホストに貢いで借金をし、夜の仕事につくのが増えているという内容だった。ホストは夜の仕事で稼げそうかどうかで女の子への対応を変えていると言っていた。
私はもう男で癒されることはないのでわからないが、ひどい世の中だと思った。
10代や20代の女の子が癒されるのがホストしかないとしたら、
そんな状況はおかしいと思う。
少なくとも、避難所にはホストはいない。
奥能登でも女の子がいる飲み屋はあるし、宴会ではコンパニオンを呼ぶこともできる。しかし、ホストがいるような店はないんじゃないだろうか。聞いたことがない。
不幸の形にもいろいろある。災害ばかりが不幸の元ではないのだ。

お腹が治ってきたのか、何か美味しいものを食べたくなったが、良いものがなかった。コロナのときに買ってきてもらった経口補水液を飲んだ。
お腹のためにも、これが一番いいだろう。
そう思ってあきらめる。

夜は一般社団法人のお弁当とコンビニおにぎりとお茶のペットボトルだった。
弁当のおかずは焼き魚、切り干し大根の煮物、こんにゃくとねぎの煮物、
細くて長い麵のような沢庵が一本。
ご飯は冷たくて硬かったけど、和風なおかずが食べやすかった。
夫はおにぎりとお茶だけもらって、買ってきたやきそばと一緒に食べていた。

母から電話があり、ケアマネージャーさんがホテルまできてくれたと言っていた。
祖母の状態を見に来てくれ、どういった施設がいいかを話したという。
祖母はいつも上がらない腕を必死に上げ、いつもよりもシャンシャンと歩いてびっくりした、と言った。ケアマネージャーさんの前で見栄をはったらしい。
「それと、お願いがあるんだけど。」
母は地震前、一人暮らしのIさんの買い物代行のようなことをしていた。
Iさんは目と足が少しだけ不自由なのだった。母とは個人的な知り合いで、離れて暮らしている兄弟の人から頼まれていたのだ。
そのIさんの財布を預かったままになっていた。返す間もなく、二次避難してしまった。今、その財布は貴重品として父が持っている。
Iさんは今、地震で家が壊れて、ある避難所に避難してるのだが、金沢の福祉施設に入ることが決まったということを兄弟の人から聞いたのだった。
福祉施設に行く前に渡してほしいと言った。
その避難所はそんなに遠くないので、行くのは問題なかった。いいよ、と返事をした。
忘れないように気をつけないといけない。
父のところにいき、その財布を持ってきてほしいと頼んだ。

夜、消灯してから考えていた。
いつになったら被災者じゃなくなるのだろう。
家に戻れたら?
応急仮設住宅に入居した人は被災者?
応急仮設住宅から出られたら被災者じゃなくなる?
そう単純ではない気がする。
個人的な支援が必要かどうかではない。
結局、被災地にすむ限り、被災者になってしまう。
被災した病院、被災した学校、被災した役所、被災した商業施設…
地震のことを思い出さずに、心の底から笑える日々のくることが、被災者でなくなるということかもしれない。


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